1634「映画「空海」を見て」(320()晴れ)

 

「キョウヨウ」と「キョウイク」のない一日。

あの映画「空海」を見に行こうと思い立った。

通信1624「「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を読んで」を書いた。「空海」はこれを映画化したもので、空海に染谷将太、白楽天に黄軒(ホアンシュアン)、楊貴妃に張榕容(チャンロンロン)安倍仲麻呂に阿部寛、日中オールスター競演で、監督は 凱歌(チェン・カイコー)。

ガールフレンドのAさんが一緒に行けるといいのだけれど耳に悪いという事でやめになり、一人。会社で一緒のa氏が空海を信奉する寺は多い、そこがみな見に行くだろう、混むに違いない。彼に関東には空海ゆかりの寺が三つあるがどれも繁盛している、ご存知か?・・・知らなかった。

成田山、浅草寺、川崎大師・・・・・。これらの信徒が行ったら大変だ!

上映している新宿ピカデリーは全席指定、切符が買えるかしらと心配し、ネットでは1125分に第2回目の始まりだが小雨の中9時半に向こうについた。

しかし切符売り場はガラガラで拍子抜け。

予定時間に劇場中段の良い席を確保するが、なかなか人が埋まらぬ。せいぜい6割の入り。

映画を見終えて第一の印象、原作を書いた夢枕莫は日本人、映画は日中オールスター競演だが監督は凱歌、中国人、この違いが大きいな、と感じた。

多くの日本人にとって空海は偉大である。高野山に居をおき、真言密教を普及させた人。

その影響は全国津々浦々の寺におよび、信ずる人々はそれほど多くないにいしもみな知っている。

その天才ぶりもなり響いている。信者も多い。

そのころ日本から国にわたることは命がけであった。彼は密教を日本に持ち帰るよう命を受け、滞在期間も20年を予定していた。そして言葉が巧みであったとはいえ、異国の地での勉強、さぞ大変であった、と思う。

原作は確かに楊貴妃の死にまつわる怨念が化け猫になって表れる妖怪映画である。しかしそのバックに空海があるからこそ日本人には興味深い。その視点が凱歌監督の視点からは抜けていると思うのだ。単に東の未開の国から来た妖術使いの化け猫退治に終わっているように見える。

映画は原作をもずいぶん変えている。

4艘の船で渡航したがそのうち2艘しかつけなかった話。転覆して浜についた形になっている。

妖猫の謎を暴く空海のパートナーが原作では一緒に渡唐した橘逸勢(たちばなのはやなり)であったが、この作品では白楽天。

なぜ妖猫か。その目的は原作では「唐を滅亡させる」であったがここでは「玄宗の子々孫々に恨みを晴らす。」。似ているがニュアンスが違う。

原作では最後は時の皇帝徳宗を救うことで帰国が許されるのだが、ここでは曖昧。

さらに楊貴妃は日本に行けなかったが墓を抜け出し生きたとなっている。

空海は書の名手、彼が紹介状を代筆してそれが中国の役人に認められ、初めて入国出来た話。橘逸勢も空海とともに書の名手としても知られる。

密教を向こうで手に入れ、青龍寺で並みいる現地の僧を抑えて奥義を教えられる。

これらはすべて抜けている。代わりに安倍仲麻呂が楊貴妃に子に恋心を持つ・・・・。この辺にせいぜい6割の入りの原因があるように見える。空海を信じる寺関係の人々が押し寄せぬ理由もわかるような気がする。

しかも唐時代の妖猫としてみるとスターが豪華な割には面白みに欠ける。長安や宮廷の描き方もなにか落ち着きがなく文化の重みを感じさせない。祝宴は長安から少し離れた離宮で行われたが、CGばかりが目立ち、雰囲気が出ない。

詩吟が趣味の私としては李白の様子やあの清平調子3句の紹介ももう少し丁寧にやってほしい感じがする。踊りや管弦もそうだ。もう少しあの時代の雰囲気がほしい。

ただ今までビデオでいくつか 凱歌の作品を見たことがある。筋立てよりも映像が美しい、はでやか、という印象を持っている。その点ではCGを存分に使い、本領を発揮しているようには見えた。

夜、寝床に入って考えた。私がもし監督ならどんなふうに作るだろう?きっと最初は空海の渡航と長安の街の苦労話から始めるだろうな、最後にほんの少しでも日本に戻ってこんなことをしたと加えるだろうな・・・・。

 

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