1651「77歳喜寿」(5月24日(木)晴れ)
日本の平均寿命男性80.98歳今日77歳、喜寿、思えば恙なく良く生きてこられたものだ。
私の人生は幸せであったか。多分YESであろう。唯一の誤算は妻が膠原病で早世してしまったことくらいか。
昭和16年横浜の病院で生まれたらしい。へその緒が巻き付いていて息も絶え絶えであったが、医者が足を持ち上げ尻をポンとたたくと水をはきオギャア、と泣いたとか。
20年に横浜空襲で焼け出された。一時母親の親戚の家に避難したが、やがて長野に疎開した。
たしか小県(ちいさがた)群叶(かのう)村、上田近くの大屋という駅から山道を登って行った田舎。父親が存命のころ、確か30年くらい前に訪れた。今も変わらぬ田舎。
自分として記憶が始まるのはこのころから。4歳から5歳。食うものも食えぬ時代であった。
しかし初めて気が付く外の世界、世の中はこんなものと思った。
22年、父が東京で頑張り、杉並の今の場所に土地を買い、家を建て一家を呼んだ。
トントン葺きの屋根、井戸水、畳のない部屋、かまど、荻窪までバスもない。
母親は道路まで耕して野菜を植え、父親は器用で庭に棚、子たちのためにブランコを作った。
23年小学校入学。世間に出るのは初めて。
教科書がなく、父親は先生から借りて一晩かけてそれを写して私の教科書を作ってくれた。
身体検査を行うから裸で保健室に来い、というから文字通り裸になっていったら怒られた。
4年生の時に近くの小学校に転校。中学校は少し遠くの中学であったが、親が身体虚弱とか何か申し立て近くの中学に通った。
わりに優秀であった。高等学校、一年浪人して大学、工学系を選び大学院、ガス会社に就職。しかし世間知らずで何度も赤恥をかいた。
最近練習している演歌「夢芝居」の一節「けいこ不足を幕は待たない、恋はいつでも初舞台」
今更恋をする年齢ではないけれども、人生は新しいことの連続、そういう問題に向かうために過去の経験と、それを頭の中で結びつける能力が問われる。
機械やモーターをいじったことがなかった。請求書というものを受け取ったことがなかった。キスをしたころがなかった。・・・・誰もやり方を教えてくれなかった。そう、そう、身体検査でもフルチンになってはいけないという事も・・・・。ガス会社に行ったくせにいまだに風呂の点火が大の苦手。しかしすべて習ってゆくだけの時間は人生にはない。時々「そういうことは習っていません」という人がいる。嫌いだ。
赤恥をかきながら世の中を進む。しかしその赤恥の連続が会社を、日本を、時には世界を動かす。トランプも習近平も安倍さんも上り詰めて初めて経験する世界。それに無茶苦茶にぶつかってゆく・・・・・。世界は大いに迷惑する。しかしこれも人の世・・・。
25歳の時に結婚、子たち3人を儲けた。しかし冒頭に書いたように妻が54歳で早世。
それでも60歳まで恙なく過ごせた。会社が残留を要請するほど優秀ではなかったからそのまま退職。もっとも親の残したアパートがあったからそれで食える、という下心もあったが。
妻が他界した後、ガールフレンドのAさんにはずいぶん世話になった。連れ合いをなくした男は早世すると言われるが、私は「年齢よりずっと若く見える。」と言われる。うれしい、彼女のお陰だ。
戦争は海の外のことであったし、東北大震災も被害なし。幼いころから住んだ荻窪を離れることもなし。おかげで故郷というものがない。明治維新のような革命もなし。
生活レベルは右肩上がりで向上した。
そして17年、今日を迎えた。彼女が銀座で上等のステーキをおごってくれた。子たちからもお祝いの言葉やプレゼントが届いた。
しかしコンピュータの登場で世の中が一変、最初は得意になったが、スマホ時代に入り置いてきぼり。もうでる幕ない老人・・・・そんなところか。
せめて90歳まで元気で生きたいと思っている。
この年齢には二つ意味がある。一つには母親が74歳、父親が88歳で他界した。せめて親より長く生きたい。もう一つは長男が1971年生まれ、2031年で60、ようやく定年を迎える。
私が90、2031年、あと5000日を切った。
それにしてもその頃世の中はどうなっているのだろう。
子や孫たちはどうなっているのだろう、ひ孫が見られるだろうか。
元気でぽっくり、人に迷惑をかけないようにして死にたい。
後記 マレーシアでは92歳の首相、中曽根元首相は100歳、まだまだいけると思ったら90歳のおばあさんが大交通事故・・・人それぞれ
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