16781676「終戦の日雑感」への読者のご意見」(823()晴れ)

 

(A)

歴史上二つの文明は並び立つことができない。当時の日本がアメリカに迫るのをアメリカは許せなかった。それで無理やり喧嘩を仕掛けた。まだ国力の優れたアメリカが勝ったということにすぎない。

今、この歴史は繰り返している。少し前に軍拡競争に敗れ経済崩壊したソ連のほうかいがあったばかり。中国の擡頭に対して、それを許さないアメリカが、中国たたきのために貿易戦争を仕掛けているという構図。

別にトランプの気まぐれではない。必然的に二つの文明の衝突なんだと思う。

これに対して習が対応を誤ると、当時の日本の二の舞になる。ただ現在は核兵器があるので、簡単に本格的な戦争はできない。

形を変えた戦争が起こるのが必然。

さあて、習はどう対応するのか。これが老後の楽しみで、毎日新聞にしがみついている。

狂歌でいう、次の心境にちかい

  世の中に、何の楽しみ なけれども 楽しみなのは 隣の貧乏。

他人の不幸は蜜の味、他国の不幸もまたおいしい。

 (B)

最近興味深い本を読みました。

ドイツが降伏した5月に、「もう勝ち目は万に一つもないから降伏しましょう」と天皇に進言したら、天皇が「このまま降伏するわけにはいかない。乾坤一擲どこかで勝ってから止めよう」と言ったので、8月まで長引かせてしまった。

降伏後、天皇およびその周辺に戦争責任が及ばないように、また戦後も自分たちの支配体制を続けられるように、「東条が戦争を始め、天皇が戦争を終わらせた」と口裏を合わせ、東条一人に戦争責任を押し付けた。

近衛文麿は戦争裁判にかけられそうになると「自分は政治責任はあるが戦争責任はない」と言って自殺した。

戦後は、この「東条が戦争を始め、天皇が戦争を終わらせた」が神話になり、「天皇が日本を破滅から救った。やはり日本には天皇は必要だ」という主張に金科玉条のように使われている。

今になってはどこまで本当だか分からない。公文書があったとしても真っ先に焼き捨てられただろう。5月に終戦になっていたら、沖縄も住民総力戦にならなかったろうし、原爆もソ連参戦もシベリア抑留もなかった。

戦後、天皇がマッカーサーに会ったとき、「沖縄はアメリカが自由に使ってください」と言った、というのはよく知られた話だ。これはひどい話で沖縄は天皇の私物ではない。このとき天皇の言うべきことは「自分の身はどうなってもよいから、飢えに苦しんでいる日本国民を救ってくれ」以外にはないだろう。最高責任者でありながら何故結果責任をとらなかったのか。

・・・・・・

いずれも同年配の男性、前者は会社で一緒だった人、後者は高等学校同期。

以下、貴重な読者のご意見に失礼とも思うが、私の思い。

前者はその通りと思う。ただ重要なのは二つの大きな文明の間に挟まれた、比較的小さい、日本と言う文明圏、そこはどう対処すべきか。サムエルソンのあの「文明の衝突」ではやがてどちらかに飲み込まれてしまう、という事だが心配。

後者はそういう事かとも思うけれども、天皇も近衛文麿も東条も一個の人間であった、という視点は持ってあげないといけない。日本も皇室も大切だが、一番大切なものは何か、と言えば自分自身。この人は自分がその立場にあったら果たしてそう言ったかとも思う。そしてある時にある判断をしてそれが失敗した、と言って人々は責任を追及するが、考えようによっては仕方がなかった・・・ともいえる。

あの極東軍事裁判、戦勝国アメリカ主導であったが、もし日本国民自体が主導したら、東条は死刑になったか、天皇はどうなったか。日本と同じことを韓国や中国で起こし、そして負けて裁判を迎えたら・・・・。多分違った結果になっていたのだろうなあ、とも思う。そしてそのやり方はこれからの日本にも当てはまる。日本人の感性がどのような進路を選ぶか・・・・。

 

註 ご意見をお待ちしています。

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