1721「井原西鶴世間胸算用の一話紹介」(126日(土)晴れ)

 

午後から古文書研究会。現在みんなで井原西鶴の世間胸算用を読んでいる。

「昔の人の書いた文字を読みたい。」と始められたこの会であるが、昔の字はなかなか難しい。しかしこのような有名な本はすでに訳した本が出回っている。みなそれを予習している。だから読めるのは当たり前なのだけれど・・・・。アンチョコ学習?

ただこの会は出席者が減らない。私はこの会に参加することにより古典に接することができることがうれしい。もう奥の細道、伊勢物語などいくつか読んだ。みんなもそう感じているのかもしれない。

さて世間胸算用の作者、井原西鶴は17世紀、江戸時代の有名な作家である。第三巻」第四話は「神様さえお目違い」というお話である。面白かったのでここに紹介する。

神様は毎年10月出雲大社に集まって国々に遣わす年徳神を選定する。

京・江戸・大阪三大都市には特に徳の備わった神様を派遣する。

奈良・堺へも老朽の神様を、長崎・大津・伏見などにもそれぞれの神様を割り当てる。

泉州堺の住民はいつも家計に油断なく、万事の商売は控えめにして営業している。

表向きはしもた屋風に見せて、内部は広い屋敷で年中入帳の銀高を計算している。

秋の紅葉を見に行くこともなく、魚も小魚で済ます一方、目の前の海でとれる春の桜鯛は京のものに見せてやれと毎夜魚荷で輸送させる。

なかなか実態はわからぬがすべてのことは灯台下暗しと言うことわざのいうとおりである。

ある年徳の神様が大体店構えのいい商人の家に入っていった。

恵方棚は釣ってあるが、燈明も上げておらず、何となく寂しい家だった。

しかしほかの家に行って他の神様と相宿するのも面白くない。

神棚の奥でしばらく様子をうかがう。

ところが門の戸が鳴るたびにこの家の女房はびくびくしている。

掛けとり(借金取り)がやってきて、金を払ってくれ、というのである。

「まだ主人は帰られません。たびたびご足労をかけてお気の毒です。」

どの掛けとりにも同じことを言って追い返してしまう。

間もなく夜半も過ぎ明け方になると掛けとりたちがこの家に集まり騒ぎ立てる。

すると丁稚が大きな息をつきながら帰ってきて言う。

だんな様は帰り道、大男45人に松林の中に引きづりこまれました。

命がおしければ、という声を聴き捨てにして私は逃げて帰りました。

すると女房はお前は主人が殺されるのに逃げ帰るとは情けない、と泣き出す。

掛けとりはあきらめて一人二人と出てゆき、まもなく夜が明ける。

ところが女房は彼らが帰った後嘆く様子を見せない。

丁稚は懐から金を投げ出し「田舎も生活が苦しく、やっとのことで銀三十五匁銭六百とってまいりました。」という。納戸の隅に隠れていた亭主が震えながら出てきた。なんと彼は借金取りが来ている間、納戸の片隅で人情本を読んでいたのだ。

女房が掛けとりはみな帰りましたというとやれやれ、今日一日で老けてしまったと嘆く。

彼らは他家では雑煮を祝う時分に米を買い、薪を整え、平常通りの飯を炊いた。

ようやく二日目の朝雑煮を作って仏さまにも神様にも供えて言う。

この家ではもう十年ほども元日を二日に繰り下げて祝っております。

神様の目でこれほどの貧家とも知らず、正月三が日を待ちかねて今宮の恵比寿様を尋ねた。

「見かけによらぬ貧しい家で正月を過ごしてしまった。」

すると恵比寿様は「誠に不運な神棚に行かれましたね。

わしには世間中の商人が寄進の酒と鯛がありますからそれで口直しをしてください。」

実は後日朝早く参詣した人が神様たちが内陣で話していたのを聞いて帰ったのだ。

神様でさえ貧と富の差があるのだから、人間の貧富の差は定め難いのが当然である。

人はみな家業に油断なく励み、年神様に不自由な目に合わせぬようよう稼がねばならぬ。

・・・・・そういえば年末に掛け取りが押しかけてくるなんてことも最近はないよう・・・。よい時代になったものだ!

 

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