1722「みんなバカ、これくらいわからんのか」(2月19日(火)晴れ)
この通信はもう20年近く続いている。いつのころからか一回に54行書くようになった。
しかし最近元気がなくなったか、それだけのマス目を埋めることに困難を感じ始めている。ただ言いたいことは多いからやめる気は起らぬ。そこで54行埋めなければならぬという制限を撤廃しようと考えている。書きたいことを書きたいだけ書く・・・・。
今日の日経新聞朝刊の春秋欄、だれが書いたのか。
「中国共産党の長老李鋭氏が101歳で亡くなった。」としてその思い出を述べている。
この人を私は全然知らない。しかし記事によれば「抗日戦争や国民党との戦いを戦ったが、文化大革命で失脚、党を除名された。しかし復活・・・・。」とある。
一党独裁や個人崇拝を批判し、昨年米国メデイアのインタビューに現在の習近平国家主席を「こんなに文化水運が低いとは思わなかった」「小学生なみ」と批判したとか。著者はそれと同じと「米国のマテイス前国防長官がトランプ大統領について「小学生並みの理解力」と評した」とする。
そして結論に「世界の命運を左右しかねない二大国の指導官が、そろって小学生になぞらえられるとは。冗談のような、ホラーのような・・・・。」と結んでいる。
いい点を突いている。そういえば日本の野党の党首も先日安倍首相のことを「小学生並みの理解力」など批評していた。他人を小学生だのバカだのと批評するのは簡単である。特にえらい人を・・・。
批判することをすべて否定するつもりはないが、二つの点で自分は間違っているかもしれぬ、というところを忘れてはいけない。
第一は世の中の基準は自分が絶対である、と信じて他人の考えを受け入れなくなっていないか、ということ。ところがたいていの人はそう思っているのである。そしてそれを弁護するかのように「信念を持つことはいいことだ、などと教えている。しかし全体がある方向に進もうとしているとき、個人個人の沢山ある信念のほとんどには折れてもらわねば物事は進まね。
第二にみんなのレベルはどうであるか、という視点である。よくこのように調べればこういう結果になるのにわからないのか、バカという人がいる。しかし他人はそこまで調べもしないし、そのような思考のプロセスをとりもしない。
どういう基準で利口ということも問題だ。どんなに賢い偉い人を連れてきてもその人がリーダーとして適しているとは限らぬ。かって日本にも東大でも名が鳴り響いていた、英語が堪能という、大経済学者が首相になった。しかし必ずしも成功しなかった。「水清ければ魚すまず」かもしれぬ。
結局みんなは自分から見れば小学生レベルの人間を選んでいるが、それが世界の流れかもしれない。とすれば自分が妥協して、それでは自分がどう行動することが大切か考えることが重要なのではあるまいか。
ただしかし、他人の意見を聞いてばかりでもいけないところが悩ましい。
戦後ずっと民主主義が一番いいと考えられてきた。それは誰かが言ったように「民主主義は問題点だらけだ、しかしこれに代わるものがない。」ではあるが・・・・。しかし国家の効率としては全体主義がいいのかもしれぬ。中国の共産主義は一方で民主主義社会を装いながら、国家としては全体主義を志向しているように見える。国民を一つの方向に向けているから進歩が速く、その国力はやがて民主主義のおひざ元アメリカを追い抜きそうだ。一方のアメリカは民主主義と全体主義のはざまで悩んでいる。もともとはカウボーイの国でインデイアンを蹴散らして自分たちの国を作った。一人のリーダーのもとに政策を進めねば効率的でないことを知っている。それゆえトランプ政権のようなものができたのかもしれぬ。ヨーロッパは民主主義を貫き、進歩した社会を築いたように見えるが、同時にその力が相対的に低下していることは否めない。
日本はどのようにすべきか。少々民主主義が発展しすぎた。他人をもちろんバカ呼ばわりしてはいけない。しかしある程度はリーダーシップを発揮し、時には他社の意見を無視するくらいでないと前に進まぬかもしれぬ。
ここまで書いてきて「なんだ、当たり前のことではないか、世の中のやつ、このくらいのことわからんのか。バカ!」と言いたくなった。他人の言うことなんか聞いていられなくなった・・・・そんな風に感じてきたが、世間の人はこれを老化現象と呼んでいるとか。
註 ご意見をお待ちしています。
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