1736「平成最後の・・・・・。」(4月26日(金)小雨)
証券会社の男との対話。「今日が平成最後の私どもの営業日でございます。」
そういわれて初めて気がついた。明日からゴールデンウイーク、みんな閉まってしまうのだ。
そしてその休みの間に平成が終わり、令和になるのだ。
平成とはどういう時代であったか。世界にとって、日本にとって、私にとって・・・・・・。記録をたぐれば1989年1月8日、昭和が平成になった。
この時の日経平均は30000円強であったが、2月に史上最高の38957円を付けた。まさにバブルのピーク。しかしその後ITバブルと崩壊。小泉相場で少しは持ち直したものの、リーマンショックやギリシャ危機、それに民主党政権などで再び下げ、2008年には6994円という信じられないような値。そしてアベノミクスようやく復調、現在は23000円足らず。
最初がピークであったから、8000円くらい下げた。それをもって失敗した平成、というのは早計に思うが、日本の世界における相対的力が弱くなったことは事実か。
私は昭和から平成に変わった、という記憶は薄い。89年の3月から91年まで会社からイギリスのシェルの研究所に派遣され、平成になってすぐに日本を離れたからだ。出発のころ妻は膠原病で病院であった。イギリスはサッチャー首相とエリザベス女王。女に支配されている国であったが、かっての栄光は薄れていた。有色人種は低く見られていたが、日本は別だった。84年に日産が英国に進出するなど、日本の多くの企業が欧州の拠点としていた。言葉がなじみやすい英語であったことも影響したのかもしれない。
帰国して94年にJICAから環境案件海外協力基金調査団として中国に出張した。
北京から入り、本渓、包頭、フフホト、蘭州、柳州など回った。今の中国からは考えられない状況。まだ金儲け優先で、町はスモッグで覆われ、公害対策はどこか金を出してくれるところがあればやる、という程度の認識であった。
妻は結局96年に他界した。私の元気のもと、ガールフレンドのAさんと付き合い始めた。
株と同時に投資信託を始めたのはそれから10年くらいたってからである。
退職金や相続で少し金銭的に余裕ができたからだ。
再び、冒頭の証券会社の男。大学で経営工学を学んでいたというがなかなか格好いい。いづれにせよ、向こうはこちらの機嫌を取り、できれば何か売り込みたい・・・・。
「この債券はご購入いただいてから5年ほどになりますが、10万円ほどしか利益が出ていません。今後の見通しもあまりよくありませんから買い替えたらいかがですか。」
「その君の言う有望な債券に買い替えるとして手数料はどのくらいかかるのだ?」
「そうですね。10万円くらいです。」
「じゃあ、この5年くらい私は何をしていたことになるのだ?」
漫才みたいになってしまった。もっとも損をしている債権もあるからそれに比べればまだいい?
外国株はいかがですか。デイズニーはこれからネット配信をやるようですが私有しているコンテンツが豊富で有望です。」
「じゃあ、少し買おうか。」「ありがとうございます。どのくらい・・・・・・。」
話が進みかけたところで、突然「売れません。明日から10連休です。」
休み明けにゆっくり考えようということになった。
夕食の食材を買って我が家に戻る。
「お帰りなさい。」元気のいい声。昨日設置したばかりのSECOMの音声が迎える。
夜、いつものようにガールフレンドAさんと食事、それからカラオケを少し楽しむ。
彼女が帰ったあと、椅子の上に帽子を忘れていることに気が付いた。電話する。
「またいつものように忘れものですよ。」
彼女もドジだなあ、そそっかしいなあ、いよいよぼけたか、などいろいろ思う。
明日届けることにして電話を切り、私はなんとなく外を歩いてみたくなった。
雨が今にも降りだしそうな状況、そこで気が付いた。
傘、傘・・・・・・・・。ない、ない・・・・・・。
いつも安いビニール傘をかっていた。しかしあれは3000円もした傘!
銀行に置いてきたか、しかし10連休、しかも銀行に忘れて彼らが気づいたら電話をしてくるはずだ。すると帰りに行った八百屋か。そういえば野菜を買ってそれをリュックに入れるためにリュックを下ろした。あの時か・・・・・・。とにかくない、ない!
平成最後のダブル忘却、ダブルぼけ!しかし実害は私だけのよう!
追記 失礼しました。私の傘はAさんの家に置き忘れたのでした。荻窪からの帰りにちょっと寄ってお茶をごちそうになったのがいけなかったのです。
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