1760「父のイギリス滞在」(109日(水)晴れ)

 

また大型台風が来るというが秋晴れの気持ちいい一日。

私はいつものように一人で荻窪に行き、めずらしく天やで天丼を食い、2時ころかえって来た。

それから昼寝をしたり、夕食をとったり、プロ野球を見たりして過ごした。

要するに一人で意味もなく過ごしたということだ。同じような年齢のころ父はどう過ごし、どう行動していたかふと知りたくなった。1989年にイギリス・チェスターに留学していたころ、父が訪ねてきた。

その時父は1911年生まれだから78歳。私は48歳。杉並の自宅で母は脳溢血に倒れかなり不自由、子達がいたが、私の妻も膠原病で臥せっていた。そんなところを抜け出したく、一方で絵を描く父はヨーロッパにあこがれていたのかもしれぬ。日記を抜き書きしてみる。

1989年6月3日:ガドウイック空港。5時半ころ、酒瓶を抱え、荷物を引きずってきた父を発見。・・・・(そのまま地下鉄棟乗り換えて)パデイントンのロイヤルパークホテル。父は長旅で疲れている様子。

6月4日:ロンドン見物。・・・・・2時、開門と同時にナショナルギャラリーに入る。結局父が偉く熱心で、ここで5時半くらいまで過ごした。・・・・・夕食にホテル近くのステーキ屋)肉が硬くて父には向かなかったようだ。途端にご機嫌が悪くなって「今日は4000歩もあるいたせいか(父は万歩計を持っている)腰が痛くて仕方がない」という風だからこちらとしてははらはら。

6月5日:北京で軍隊が学生に発砲し、2000人以上の死者、おかげで香港の株式市場が25%以上も下落、中東ではホメイニが死亡、ソ連では大列車事故と物騒なニュースをやっている。

(テート美術館には)9時40分頃つく。10時開場なのでそれまでベンチに腰掛け、父はスケッチ。当方は特にすることなし。開門と同時に入り、食事を挟んで2時くらいまで過ごした。父が大変熱心でターナーをもっと見たいといったためだ。予定したロンドン塔行きは中止にする。

6月6日:ヒューストン駅から列車に乗り、12時45分チェスター着。タクシーで我が家へ。・・・・・父は土地勘をつかむのに苦労している。それと15分かそこらの歩きで疲れた様子。やはり、年なのだろう。

6月8日:(チェスターで公園見物)ゴーストツアーがあまりお気に召さないらしい。要するに英語がよくわからないのと、少し寒いから、歩くのが大変ということなのだろうけれど・・・・。終わりころに「俺は帰る。パブにもゆかない。」にはまいった。

6月9日:(午後デラメアの森に行く)車を森の中に留めて、散歩。アベックならことのほかよさそう。父はしきりに「イギリスの木の形がいい。」と妙なことに感心している。

6月10日:・・・・4時40分頃、a氏宅(向こうで知り合った日本人のお医者さん、お世話になった)に向けて出発。バーベキューパーテイ。・・・・父はaさんの所のおじいさんと話し込んでいる。女どもが三人、それに調理担当のa氏もいるので料理は万全。・・・・いつの間にか向こうのテーブルで父が真っ赤になっている。

6月11日:(ボデルウイッダン城に行く)城壁に上ると視界が広がる。海、鷗、スレートふきの屋根が並ぶ街並み。父は大喜びで「今までの中で一番いい。」とはしゃいでいる。写真をどんどん撮るのだが、足場が悪く、当方としてははらはら。・・・・・

6月12日:(出勤)b君(同じ会社から派遣された人、こちらもお世話になった)が7時から、私と父を夕食に招待してくれている。この前買ったチョコレートを持って出かける。b邸の前でまたバックに苦労。この前の事故と言い、もう少し練習しないと・・・。

6月14日:(3日間かけてカーデイフ城見学。)・・・・・・芝生に寝転がって写真を撮っていると遠足に来ていた子供たちが寄ってきた。・・・・連中はそのうちスケッチをしている父に目をつけ、一生懸命眺めている。物おじせず、ほかの絵も見せろ、なんて言われて父も曽孫にでも囲まれた気分で楽しそう。・・・・しかしよい思い出になった。「外国の子供のほうが幸せだ。のびのびしていて・・・・。」とは父の感想

6月22日:父との生活も今日で20日になるが正直言って疲れる。・・・・夕食を食べに行こうというと一度はゆこうということになったが「ホテルで毎日食べていたら、金がかかる。やめにしよう。」それじゃあ、夕食を作らねばならぬから、こちらは大変だ。・・・・・

7月2日:8時に車がきてチェスターへ。・・・・父にとってチェスターは見納めとあってやや感慨深げ。・・・・・ロンドンでクイーンズギャラリー、ウオーレスギャラリーなどに行っている。

7月3日:ロンドン塔見物   7月4日:大英博物館見物。もう一度ナショナルギャラリー。

7月5日:ガドウイック空港。

・・・・・12時過ぎに父はパスポートコントロールに向かう。「ありがとう、世話になった。」と言ってくれた時はうれしかった。・・・・・この1か月余りのイギリス生活が父にどういう意味を持ったのか僕にはわからない。絵の材料が集まったのか,英国感と日本感が変わったのか、それとも人生に対する見方がかわったのか。でも何か父は得たような気がする。やさしくなったようだ。

・・・・・父は母の他界(92年)、私の妻の他界(96年)を超えて、2000年89歳で亡くなった。

 

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