1766「詩吟をすると何がよいか?」(11月23日(金)雨のち曇り)
朝、メールを見るとまた高校同期の訃報。d君である。
長くインドネシアで活躍していたが、癌などの病で帰国。
「闘病されていましたが、ご自分で手術などの治療をやめて、自然死お迎えになりました。」
月に一度の歌会に参加され、「群青」をしっかり歌われていたことを思い出す。
ご冥福を祈る。元気なうちが花、残されたものとして頑張ろう。
寒くなってきた。詩吟の練習で早稲田に行くと、ロビーにずいぶんのお年寄りが座っていた。
「今日詩吟を体験入学させていただきます。」といった。もう腰も相当曲がっている。
和室、授業のためにいすや机をセットするのだがとても頼めぬ。
やがて美人のa先生がやってきて授業開始。
老人は90何歳とか言っている。その老人は神田川にかかる豊橋を渡ったあたりに住んでいるらしい。先生のお宅の近くで、その辺の地理をよくご存じの様子。話好きだが、こちらは地理に詳しくない、豊橋も、この前椿山荘に行った帰りに通ったので覚えているだけだ。ついてゆけぬ。
生徒は私とbさんだけ。私は「涼州詩」と「9月9日山東の兄弟を思う。」
題名を聞くと老人は「9月9日は私の誕生日なんです。」
すると先生が「重陽の節句じゃございませんか。いい日ですわ。」と合の手。
老人弱者に寄り添い、話を聞いてやる・・・・・・そこは先生の得意技のように見える。
bさんは「山行」である。
「遠く寒山に登れば石径斜めなり」
寒山は地名というわけではないらしい。秋から冬にかけての寂しい山、というところ。
転句の「車を停めてそぞろに愛す楓林の暮れ」
どんな車と聞くのは野暮な話か。ただしここは上二句がやたらに長く歌いにくい。
一方で聞かせどころか。
結句の「霜葉は二月の花よりも紅なり。」
霜で紅葉した木の葉は二月の花より赤い。二月の花とは何を指すのか?
我々の練習が一段落し、老人が一曲勧められた。老人がこの「山行」を吟じた。杜甫の作である。
吟じ方は我々と少し異なるが実に伸びやかないい声である。
まだ70代の私や先生ですら声の衰えを感じるこの頃。とても90歳の声とは思えぬ。胃が半分ない、とも言っていた。
先生が「私のクラスには胃を全摘した方がいらっしゃいますわ。食べる方はいかがですか。」
老人の話では胃は元のようにならぬ、術後は食欲がなくて困った、せんべい一枚に30分以上かかった、など言っている。しかし声の方別らしい!
相当に名人なのだろう。しかしコンクールなど関係ない、といった様子。それそうだろう。
また我々の練習になったが、それが終わるともう一吟。「偶成」であった。これも実に伸びやかに吟じる。
「少年老いやすく学成り難し。」・・・・学を大きな声で吟じる。
かって我々の仲間であったが他界されたc氏がこの詩をよく吟じた。彼は特に学を大きな声で吟じた。彼のことを思い出した。
老人は何度も「また来てもいいですか。」を繰り返した。お菓子を取り出したり、先生に何やら渡したり、気を使っている様子がわかる。老人はいろいろおしゃべりして結局最後まで残っていた。
帰り道、bさんが言う。「あの年になって学ぼうという精神が立派。」
私は「詩吟が得意だったからだよ。」そう、あの腕だったら人に自信をもって聞かせられる。
老人は、声は立派だが、いつ亡くなってもおかしくない年齢。人はみな敬いながら避けてゆく。同年齢もほとんど他界されたのだろう、と推測。
その老人が詩吟と聞いて昔取った杵柄、一つ聞かせてやろうと来たのではあるまいか。
人間最後になってまだ自分の得意な分野が残っているとそれだけでも得だ。
特に大きな声を出すことはそれだけで素晴らしい。私も詩吟を初めて10年くらいになるのだろうか。コンクールに出るたびに落ちて帰る。しかし本当の目標は、この老人のように、年を取って人に一曲聞かせて悦に入ることかもしれない。どなたか私と一緒に詩吟を練習しませんか。特に若くてきれいな女性歓迎!
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