1769「あれから30年」(12月30日(月)晴れ)

 

19893月から1991年初頭までガス会社からチェスターにある英国シェルのソーントン研究所に派遣された。チェスターは、ウエールズの入り口、リバプールとマンチェスターの真ん中くらいにある古都。研究所はその郊外にある。私の家も同様、アップルトンロードというところで、街から10分以上行った田舎、出身会社が買ったもので、家の向いに牧場があった。

私より6か月前に赴任してきたaさんに教えてもらったうえ、私自体はカミサンが病で来られず、一人住まいであったからずいぶんa家にお世話になった。

シェル側の人にもお世話になった。それが5年前に他界されたbさんとそのご一家である。さらにa氏、b氏の知り合いに若いcさんというお医者さん一家がいた。奥さんが美人の上、なかなかの国際人であった。a家に男の子ふたり、b家に男の子と女の子、c家に女の子二人がおり、みんなまだ小学校以前かわいい年頃であった。

あの頃の思い出話は多い。私の場合、まず苦労したのが自動車の運転だった。田舎、どこに行くにも車が必要。私は大学院2年の時免許を取ったが、ペーパードライバーであった。向こうに行って最初は自転車で動き回った。どこから手に入れたか覚えていない。デラメアの森まで行った。

やがて免許もおり、中古のオースチンを買った。一緒に言ってくれた先輩の後を追って、遅れないよう、必死に研究所に帰ったことを覚えている。ラウンドアバウトで苦労したことを覚えている。自宅から研究所に車で行く、車庫入れに苦労したり、バックがダメだったり散々。今日はそれをいい話題にされている。

ちょうどコンピュータが普及しだしたころ。エクセルがガス会社で役に立ちそうだと話題になっていた。私は会社にノートパソコンを買ってもらい、エクセルを搭載して持って行った。しかし実際にはあまり役に立たなかった。研究所はクラウドシステムみたいなものがあって、どの端末からも中心のコンピュータを介して使うことができた。

遊びのほうも盛ん。研究所は確か4時で一応終業。イギリスはだいぶ北にあるから、特に夏は日が長い。ミニゴルフをずいぶんやった。その延長で麻雀。c氏がだいぶ負けた。帰国する段になって「あの精算が終わっていない。」しかし勝った方があれは11ポンドという約束だ、c君は1リラだ、と話し合いがつかずうやむやになった。その話を持ち出すとc氏は「時効だ、時効だ。」。

途中からc氏がエジプトのカイロ勤務になった。みんなで押し掛けた。車を飛ばしてアレクサンドリアまで行った。そこで食ったウニかいくらかに全員当たって腹を壊した・・・・・・。

留学中起こったことを日記に書いておいた。それを帰国して整理したからみな記録に残っている。

帰国後この4家族に加え、私の前任のd一家が加わり、交流が始まった。その後c氏がロンドンで医者を開業したからその帰国に合わせて時々会を開く。

それが今日銀座のロゴスキーというロシア料理屋でランチを挟んで行われた。

あれから30年、みんな大きくなる分けだ。

c夫人に言われた。「アガサさん79歳でしょう、確か滞在中に49歳のお誕生日をお祝いしたのを覚えている。」私が言う「失礼な、78歳です。」滞在中であったから少し違うのだ。

一番大きかったb氏のお子さんがすでに37歳?くらいらしい。今では某カメラ会社の中堅社員でオランダに派遣されている。もうすでに結婚してお子さんのいるカップルもいる。

c氏との会話。「もう、我々の時代ではなくなりましたね。」

c氏はすでに上のお嬢さんが医者になり、ロンドンの医院でお父さんを助けている。今日は英国人の旦那さんとともに参加。二番目のお嬢さんもお医者になったが、専門医になるためにまだ試験を受けねばならぬということで今日は参加していない。しかし来年5月にこちらも結婚されるということで、ご一家繁栄の様子。しかし見方を変えれば、我々は退場が近づいているということか。

c氏は私よりずっと若いがそれでも「前期高齢者(65歳)の仲間入りをしましたよ。」

今日はそんなことで総勢18人、3世代、ロゴスキーの奥の一画に集まっての会食。

立てに長いテーブル、世代順に並んだ。そうしないと話題が合わぬ。

二次会の喫茶店探しで苦労したが、結局椿屋に落ち着き、また歓談。

結局5時過ぎまで楽しんだ。c氏一家は短い日本滞在、まだ会うところがあると消えていった。

 

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