私のフランス語は、大学で半年だけ週に1回第3外国語として講義を受けたことに始まる。第2外国語はドイツ語だった。どちらもものにならぬまま卒業してしまった。
しかし卒業してからなんとなくフランス語の方をもう少し勉強してみたくなった。ドイツ語はデルだあ、ダスだあ、何となく色気がない。そこへ行くとフランス語はボンジュールなんとかと聞いているだけで華やかな感じがする?
最初はカセットテープを買ってきて練習した。その6巻のテープは今でも大事にしていて忘れればあれをもう一度聞けばいいくらいに思っている。本社勤めになってからフランス語の講習会が昼休みにあると聞いて出席し始めた。一時はかなり凝って、検定試験を受けたこともあるし、「星の王子様」「悲しみよ、こんにちは」「プチニコラシリーズ」などを読んだ事もある。自慢話は、白水社の辞書を一冊読んだ。よく、目を悪くしなかったもんだ。パリにもイギリス留学中や出張などで何度も行った。
そういえば14日はパリ祭。もともとは軍隊のお祭り。一度シャンゼリゼーの軍事パレードもパリ事務所の屋上から見た。五色の雲をたなびかせてジェット機がブローニュのあたりから飛んでくるときがクライマックスだった。
しかし私はどうも語学には向いていないらしい。子どものころからの音痴で、歌うほうはいつも最低点を取っていた。カラオケが大の苦手である。だから発音がダメなのである。いまだにrがうまく発音できない。へんてこりんな母音も苦手。8月、卵、鳥、など何度やってもそれらしくならぬ。
私の友人は新婚旅行に行った折パリでエスカルゴが食いたくなった。そこで絵を描いて説明した。するとシュークリームがでてきた、という。
それよりはましかも知れぬが、初めて日本からレターを書き、ホテルを予約し出かけたときのこと、夕方、むこうについて覚えたてのフランス語で「ジェイレゼルベーユンヌシャーンブル・・・・」とかなんとかやったら、「日本語でしゃべりなはれ。」といわれた。パリ・オペラ座近くのリッシモンドという三ツ星ホテルだった。赤ワインを注文したらロゼがでてきた。これはマルメゾン城近くのレストランでの話し。
さて、前置きが長くなったが会社でフランス語を習っていたグループの一人K氏が定年になる、お別れパーテイをやるから出席しないか、とお声がかかった。もう2年も経つ、と思ったが、考えてみれば声がかかるうちが花と出席する。三田の慶応大学近くの「シュバリエ」というフランス料理レストラン。P先生をはじめ出席者は9人。P先生は確か東京オリンピックのときに来た、とか言われていたが私と同じくらいの年齢、すっかり日本にすみつき、白髪のやさしい先生である。
K君だけが、挨拶をフランス語でやった。フランス語同好会は1964年、つまり私が会社に入る3年前にできたそうで来年40周年を迎えるそうだ。A監査役が「40周年を派手にやります。」といっていたが、会員はほとんど変わらず、むしろいなくなった人が目立つのがさびしい。おしゃべりやら何やらが9時くらいまで続いた。
定年になってから時々朝のラジオ放送を聞くくらいでほとんどフランス語をやっていない。そのせいで、会が終ってから反省するとずい分忘れていること、間違えたことに気がついた。あんな基本的な単語が出てこないなんてひどいね。
語学は必要に迫られないといけない、逆にそれがあればまた何とかなるさ、とあきらめの心境。今度の人事でパリ事務所の所長にO君がなったと言う。ねっからの優秀な技術屋であるが、フランス語はまるっきりダメらしい。しかし3年もいれば彼もきっとけっこうしゃべれるようになるに違いない。
人事といえば、女性のマネージャーが沢山できて支社や営業所に転勤していったそうだ。仲間にGさんという美人がおり、いつかフランスで働きたいと憧れていたが、その流で西部支社のマネージャーになったという。会社はフランス勤務などは語学では決めないようだ。久しぶりに懐かしい顔にあい、その余韻を楽しみながら10時ころ帰宅。
追加
K君から、お礼状兼挨拶状がきた。一時はフランスで生活することを夢見た、と書いてあった。私も同じことを考えたと思い出す。
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