180「陶芸家になった岸本恭一君」(7月19日 曇り)

大きな電気炉の腹に窯の焚き口のようなものがついている。このような方法だと炉にはってある電線がいたまないか、と聞いたところ「昔はそうだったが、今は技術が進歩したからね。パイロマックスという線を使う。」

陶芸家はきれいな還元炎をつくるためにいろいろ苦労をする。昔、四国のM工業の社長に聞いたところ、電気炉に炭を放り込むといっていた。昔、会社の同僚のH君はガス窯で還元炎を作ろうと苦労していた。

それにしても見事な壷である。ゆったりとした縞模様を施し、透き通るような青があざやかな青磁の壷。完璧な技を感じさせる。窯場には高さ50センチくらい、成型のみの赤土の壷がずらりと並ぶ。赤土に青磁の青を引き立たせるため少し酸化鉄を混ぜるという。

「こんなに立派なものを電気轆轤でひくのかい。」「そうだよ。だから土もみだって大変だ。200回もやったらそれだけで疲れてしまう。轆轤成型も30分もかかる。」

岸本君の家を訪問する、と言い出したのはA君である。

われわれは小学校の同級生、この前クラス会をやったとき、珍しく岸本君が出てきた。頭ははげあがっていたが、昔のままの雰囲気で「市原の山奥で薪をきり、陶芸をやりなどして仙人みたいな生活を送っている。」と言っていた。

ところが意外に都心に近く便利そうなところなのである。東京駅前から安房小湊行きのバスに乗ると、海ほたるのあるアクアラインをへて1時間くらいで上総牛久につく。コンビニにマグドナルドにスーパー、都会にあるものはたいていありそうなところだ。彼の家は、車でそこから5分くらい行った山の上である。迎えに来てくれていた。昔は井上と言う6万石の殿様の領地だったそうだ。

彼はもともとは世界史の先生をやっていたのだそうだ。だからそのあたりは教え子が多いと言う。40になる少し前、縁があって、メキシコで陶芸学校を設立するために向こうに渡った。NHKのスペイン語アナウンサーだった奥さんが同行し、大いに助けた。むこうで3年くらい過ごした。「ずっとバカンスみたいなものだった。」と彼は言う。こちらに戻って以来本格的に陶芸をやっている、還元焼成の魅力に取り付かれているとのことであった。

お子さんたちの成長に合わせて広げていったと言う広い平屋に奥様と二人で住んでおられる。樹幹の間からゴルフ場を一望できる。きれいに刈り込まれた芝には大かさが置かれ、バーベキュウなど出来るようになっている。庭のところどころに自作であろう陶製の皿などが飾られている。

奥さん手製のパエーリヤとガスパチョをご馳走になる。パエーリャはエビと貝がふんだんに乗りとてもよい味がした。サフランをご自分で作っていると聞いて驚く。ガスパチョは熟したトマト、ピーマン、きゅうりなどににんにく、生パン粉、ワイン酢、タバスコなどを混ぜミキサーにかけたものである。アラビア語で「ピチャピチャになったパン」という意味でスペインの代表的な夏料理、いわば飲むサラダである。

食後に裏山を案内してもらう。樹齢何百年にもなろうかという大きな椎の木があり、根元に石の祠がおいてあった。ここらの守り神なのだそうだ。足場が悪いが生竹で段をつくり歩きやすくしてある。全部俺が作った、と岸本君。薪は陶芸の炉にくべるほか暖房用にも使うが、それを切るのも仕事だそうだ。昔植えたという胡桃の木があり、小さな実を沢山つけている。「もう少し経てばリスどもがやってくるさ。」という。ここでは蛙、蛇はもちろん、テンまで見かけた事があるそうだ。まさにワイルドライフ!

工房の2階が作品展示場になっている。あの青磁の壷がずらりと並んでいる。もう彼はデパートなどで何回となく個展などを開いている。作品は手ごろな値段で売れるという。A君が来る前に電話でモーションをかけた。「茶碗など落ちていれば拾ってくるんだがなあ。」気を使って岸本君がおみやげに小作品を持たせてくれた。私が頂いたのは青い小ぶりの平茶碗、これでお茶を点ててみよう、と眺めながらこの日記を書いている。

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