中公新書・佐藤淑子「イギリスのいい子、日本のいい子」を読む。実験データの説明がかなり多く、読みづらいところもあったが、なかなか正鵠を得ていると思った。
旅先の宿で夕食を親と一緒に食べたいと言って泣く幼児は、イギリスではわがままだが、日本ではそうではない。自分が今使っている玩具を貸してくれといわれて、貸すことの出来ない幼児は、日本ではわがままだがアメリカではそうではない。
子育てやしつけの比較を行うと、幼児の行為の受け止め方が、それぞれの文化によって違うことに気がつく。
自己主張とは、自分のアイデアを話すなどの独自性、自分の希望や拒否をはっきり言える、などだろうか。反対に自己抑制とは、時に我慢をする遅延機能、制止、ルールへの従順、フラストレーション耐性、持続的対処・根気などをさすといえようか。
日本の家庭教育では、一緒にいることをよいとし、同室就寝など母子に一体感がある。子どもと大人の時間の明確な区別がないことが特色である。一方で子どもの知的発達は母親の責任とされる。ただし親が情報や意見を発し、子どもは受動的である。幼稚園では知識よりも情操教育と協調性の発達が重視される。
イギリスの家庭教育では大人と子どもの時間を区別する、別室就寝など親と子の領域がきちんと区別される。幼年学校などでは子どもの自己表現、自発性を尊重する一方、言語教育が重視され、自己抑制の重視(ルールへの従順)が教えられる。
これにアメリカを加えると一般的には次のように言う事ができようか。
「自己主張すべき場面でも抑制すべき場面でも自己主張をするアメリカ」
「自己主張すべき場面では主張し抑制すべき場面では抑制するイギリス」
「自己主張すべき場面でも抑制すべき場面でも抑制する日本」
イギリスの幼児教育の方針は、簡単に言えば「自己主張のレベルも自己抑制のレベルも両方が高いタイプ」を志向しているように見える。
そのようなことを勘案すると子どもの自己主張を育む上で、アメリカモデルよりイギリスモデルのほうが日本人にとってはより現実的でとっつきやすいのではないか。
続いて著者は日本人の対人関係と子どもの自己の発達について述べる。
困っている人間がいるときの対応状況を東京とロンドンで比較している。日本人は冷淡だが、ロンドンでは誰かが助けてくれる。聞き取り調査などによると、日本人はことのほか思いやりを重視しているようなのに、これはどうしたことなのだろうか。感情移入はするが「あたえないもらわない」社会になっているのではないか。
日本人は状況主義である。これについて
「日本人はウチ・ウラの組み合わせの「親和的な状況」、ソト・オモテの「儀礼的な状況」においては過剰ともいえる気配りを見せる。しかしながらソト、ウラの「無秩序な状況」においては、ラッシュアワー時の電車のなかのふるまいや外国での団体ツアーのマナーにみられるような無神経さを感じさせる。」
イギリスとの比較で行くと、これはまた理性主義と感情主義の違い、ということも出来る。子ども同士のトラブルに公正さを基準に判断する欧米と、その都度対応すべき状況を読み、他者の気持ちを推し量り、頭を悩ます。
さらに最近の日本で問題なのは、「親和的状況」の減少と共に「儀礼的な状況」のカテゴリーも確実に縮小し、「無秩序な状況」だけが拡大している点だ。
これらを是正するにはしつけが必要なのだが、日本の家庭ではそれができていないように思われる。
「イギリスの郊外の村でしみじみとした幸福感につつまれる事があった。アメリカで暮らしていたときのようなエキセントリックなほどの自己拡大感や、日本の社会で絶えず求められる謙虚な自己縮小感から解放されて、ニュートラルな状態で精神のバランスが保てるのだった」という著者の述懐が印象的だった。
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