ノアの箱舟に40日も閉じこもり、ようやく船を出てきた人たちはどんな思いで、日の光を眺めただろう。梅雨の延長みたいな雨続きの天気が続いたあと、やっと、ほんとにやっと今朝お日様を拝む事ができた。
お日様がでることはとにかく気分を明るくする。人々を生き生き見せる。ラジオ体操にいそしむスタイル、タマチャン風のおばさんの動きがいつになくいいし、ジョギングで行き交うお姉さんの胸も少し膨らんで見える。
でも考えてみれば、もう阿佐ヶ谷の七夕も、隅田川の花火もとっくに終ってしまっている。高校野球もあとは東北と常総の決勝戦を残すばかり。そのくせかき氷は1度食べただけ。あたりはやたらに蝉の声が騒がしく、こおろぎがちんちろりんである。
明日は12節季の一つ、処暑、つまり暦では夏の終わりである。
井草神社の前の坂を登ってゆくと、栗の実が落ちていた。上を見上げると、私もうだめ、という風に口をぱっくりあけた茶色いイガがみえる。茶の木の垣根の向こうにはいつにまにか黄色い花の下に長い糸瓜の実がぶら下がっている。
娘夫婦はメルボルンなど出かけて夏を楽しみだしている。我輩もそろそろ夏本番としゃれ込みたい。ガールフレンドのAさんでも誘うか。
よくAさんには日記を読んで聞かせる。この「でも」の部分はごまかして読もう。でもここに「でも」と書くには」わけがある。べつにAさんに飽きたわけではない。
私の本来好きなところはやっぱり海だ。これは小学校6年のときに行った臨海学園あたりに端を発している。真っ黒になって波乗りをし、砂浜で遊び毎日を過ごした。
ここに茶色になった原稿用紙に鉛筆で書かれた昔の私の作文がある。題して「松林と砂浜の学園」表紙に海岸で子供同士相撲をとっている絵が描かれている。昭和28年8月、場所は千葉県富津海岸。
「・・・・それから水着にきかえておよぎにでました。青い松林の中をとおって浜にでました。浜には大きい波小さい波がザボーンザボーンとうちあげていました。ぼくたちはまずじゅんびたいそうをしました。それからじゅんび体そうが住むと海へはいりました。それからのぼくたちは泳ぐもの、はねるもの、もぐるもの、非常にたのしい一ときでした。しかしもぐったりおよいだりするのもわずかしかないようにかんじられました。まもなくぼくたちは白波の海岸を後にしました。・・・・」
それにしても漢字をしらないなあ。素直と言えば素直だけど稚拙だなあ。
泳げるようになったのは中学生になってからである。よく女の子の後ろについて入り、きれいな二本の足が上下し、水着がひらひらゆれているのを見て水の中で恍惚となったもの・・・・。こういう態度だから間違っても選手になどはならなかったけれど。
その大好きな海を、Aさんは「肌が焼けるからいやだわ。」などとおっしゃるのである。だから「でも」なんである。仕方がない。彼女とはおつに澄ましてフランス料理でも食うことにするか。
海のほうは一人で行くか、あるいはチャンスがあれば内緒で誰かさんと・・・・。
大分わき道にそれたから元に戻す。
予想もしないときに入梅してしまったところもある。阪神タイガースである。優勝マジックが30をわり、向かうところ敵なしだった7月とは大違い、伊良部をたてながら中日に3連敗、チームとしては4連敗。ドジ!
こちらはいつ日がさすことやら。
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