195「シゾイド人間」(9月4日 (晴れ)

友人に薦められて、小此木圭吾「シゾイド人間」を読む。

もう20年以上前、1980年に書かれた一般向け書物で、著者は当時慶大医学部精神科助教授。1930年生まれと言うから50歳であった。社会心理現象として、シゾイド(分裂)人間的な生き方がますます一般化する一方、神戸の小学生連続殺人事件など極端なシゾイド人間が輩出している状況を考えると、時代をよく見通していると驚く。

この書は赤ん坊が成長してゆく過程で、どうしてこういった人間が作られるか、対処方法などを豊富な具体例をいれながら解説する。

生まれたての赤ん坊は無力で依存的な状態である。母親は、赤ん坊の外的自我であり、保護膜としての機能を期待されている。やがて赤ん坊は、母親とは違う自分を持っていることに気づき始める。そして徐々に独立した行動をとるようになる。この過程で母親は完璧である必要はないが、グッドイナフである必要がある。そうであれば一般的にはよい母親のイメージが赤ん坊の中に醸成される。

最初父親と母親は、赤ん坊にとって一体的な存在だが、やがて分離され父親が認識される。しかし同時に母親、父親、自分の三者の関係に気づき、エデイプス・コンプレックスを感じ始める。これには陽性のものと陰性のものがある。その乗り越えることによって、異性の親に対する愛着に対して、罪悪感を持つようになり、子どもの心の中に超自我が形成されてくる。それは西洋流では「自分が悪いことをすると罰せられる。」ものであり、東洋流では父母の男、女としての側面を認識するようになる。

さてそのような子どもは本来はやりなおしのきくモラトリアム(選択)の時期をへて、元に戻れぬ大人としてのアイデンテイテイを確立してゆく。

しかしフロイト流にいうと「人間は過去を回想するけれども、時によっては過去を言葉で回想する代わりに過去を行為する」

よく日本の男同士が、一杯飲んで慰めあうのは、母親が子どもを可愛がったり、世話したりすることを男同士でやっている世界だ。また自分がかなえられなかった願望を子どもに託す結果、一部の母親が、教育ママになるのもそのひとつかもしれない。

母親がグッドイナフでない場合、赤ん坊が自分の欲求を満たしてもらえないから、冷たくて残酷な悪い対象としての母親像が、形成されてしまう。するとフラストレーション、攻撃性、苦痛、恐怖が生み出される。このような状況で大きくなると、人とかかわるとき貪欲になりすぎ、結局は相手を傷つけ、壊し、失ってしまう。このような愛=破壊の経験を繰り返すと、しまいには人とかかわる事が恐くなり、シゾイド人間になる。

一方母親の側から見ると、女性の社会進出が発展し、従来女性の中で三位一体であったセックス、結婚、出産が分解したものになっていこうとしている。するとグッドイナフな母親になりきれないケースも多く出てくる状況である。

シゾイドの特色は

1 内心親密な関係を望みながら、分かれなければならなくなるときの「対象喪失」の苦悩や悲哀を考えて、人格的な深い係わり合いを回避する。

2 集団に帰属させられ、その責任を取らされることをおそれて、イニシアチブをとらないなど同調的引きこもり人間になってしまう。

3 自分を失う不安を持ち、相手に飲み込まれることを恐れる。その結果恋愛や上司とのつき合いを回避するようになる

4 自分と言うものに対して全能感が強く、他人に対して被害妄想的で、エゴイステイックな貪欲さが激しい。

5 他人とはお互いのエゴイズム的満足が一致しているかぎり、表面的でよい関係でのみつきあう。しかし人間同士の人格的な交わりによる充実感や幸福感は得られない

6 寂しいが近づくと害を及ぼすヤマアラシジレンマともいうべきものに陥っている。

著者はこの例としてウッデイ・アレンの「マンハッタン」の主人公を上げている。離婚した妻に子どもの養育を任せ、時々買い物やボール投げで子どもにかかわるだけ、自分は高校生やキャリア・ウーマンと恋愛をしながら自由に暮らしている。登場人物はみな山アラシジレンマにきづき、愛憎や嫉妬心が希薄になっている・・・・。

極端になると「真の自己」と「偽りの自己」を使い分け、人格の屋に潜む自己が、操縦室からロボットをあやつるように、偽りの自己を操作するようになる。場合によっては機械に頼った生活に陥り、全能感が肥大し、宇宙人的になってくる。

しかし一方で現代社会は、ある程度シゾイド人間的になることを要求している。

著者は、シゾイド人間的生き方をいたずらに否定する必要も、迎合する必要もない、社会のそういった変化を超えたところで人間の本来の成り立ちを捕らえる事が必要で、そこから人間の心を健康に働かせるものを確保する方策が求められる、父親のあり方はフレキシブルに順応できるとしても、グッドイナッフな母子関係をどうやって社会が守ってゆくかが課題である、等としている。

最後に個人的感想・・・・会社をリタイヤし、ようやく私たちはシゾイド人間になる必要性から解放されたように思う。これからはいつも「真の自己」で生きたい。もっともシゾイド人間的にあちらこちら食い散らかして、人生を自分の世界のみでエンジョイし、最後は老人ホームに引っ込むのも一つの考え?

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