218「We got him!」(12月15日 曇り)

イラクのフセイン元大統領がとうとう捕まった。現地での記者会見の様子が報道された。ブレマー文民行政官が“We got him!”と一言いうと、歓声が上がり「サダムに死を」と叫ぶ者まで現れた。しかし何か私は素直に喜べない気持ちだ。

イラクはイラン、トルコなどに長い間支配され続けたが、1932年に第一次大戦後のイギリスによる委任統治時代を経て、1932年にイラク王国として独立した。この時、イギリスは「アラビアのロレンス」と共にオスマントルコへの反乱に協力した太守ハシム家の次男アブドラにヨルダンを、三男ファイサルにイラクを与えた。

1958年にイラク王政が倒れ、63年に急進的ナショナリズム組織バース党が権力を握った。党は共産主義を敵視しており、CIAが協力したとも伝えられている。サダム=フセインは1937年生まれ、57年にバース党に入党し、次第に権力を掌握していった。1979年に大統領である叔父を辞任に追い込み支配者となり、反対派の粛清を繰り返した。

1980年にイラク・イラン戦争が勃発、サダムは、アメリカから武器の援助を受け戦った。結果アメリカは中東の利益を確保し得たが、イラクはおびただしい人命を失い、莫大な損害をこうむったのみで、新たな領土を獲得することもなかった。

一時的に中東に平和が訪れたが長くは続かない。1990年、経済危機を迎えたイラクはクウエートに侵攻した。もともとは自国の領土、第一次大戦のあと、イギリスが自分の都合で勝手に二つに分けた、との思いがあった。国連決議に基づく多国籍軍によって翌年屈服させられたが、幸い体制は維持され、自国の領土を減らされることもなかった。ここにはイラクの分裂を恐れる戦勝国側の思惑もあったようだ。

しかしサダムは国連の監視下に置かれることになり、大量破壊兵器はすべて廃棄されることとなった。何度の行われた査察を、サダムは巧妙に妨害したが最終的にはほとんど無くなっていたらしい。

そして2001年、9.11事件がおきる。これに対し、イラクは世界の中で唯一つ、テロを非難せず、逆に米国をあざ笑った。米国、英国は「イラクはアルカイダをはじめとする国際テロ組織の反米闘争を支援している、彼らに大量破壊兵器を与えている。」と考えた。国連の査察団を受け入れ、大量破壊兵器が発見されなかったにもかかわらず、最後通牒をつきつけ、イラク侵攻が強行され、今日を迎えるにいたった。

米軍により、テイクリート近郊で農家の穴倉に潜むところを逮捕され、髪とヒゲは伸び放題のまま口をあけさせられているフセイン氏に、かっての面影はない。それどころかその行く末については死刑説まで流れていると言う。新聞は「独裁者の哀れな末路」とし、ルーマニアのチャウシェスク元大統領、ドイツのヒトラー総統、ユーゴのミロシェビッチ元大統領等を引き合いに出している。

今後のイラクについて、自爆テロなお続発、と新聞に踊ってはいるが、経済的な不安が解決され、過激派と共鳴しあう土壌がなくなり、スンニ派勢力も含めて新たな国づくりにむかう雰囲気が醸成されれば次第に安定してくると思う。その点ではまことに喜ばしい。

気になるのはフセイン氏の裁判である。こうした歴史が示すとおり、フセイン氏はイラクの英雄であるし、アメリカは存分に利用してきた。育てて利用してきたが、鬼っ子になり、手に負えなくなったから叩き潰した。ご都合主義であることは否定し得ない。

イラク統治評議会のラビ氏は特別法廷を開く方針を明らかに、「有罪になれば6月末に主権以上が行われた直後の7月1日に死刑を執行することも出来る」と主張した。隣国のイラン政府は国際法廷に告訴する準備をしているとした。ブッシュ大統領はフセイン氏の裁判について「イラク人は深くそのプロセスに関与しなければならない」とした上で「国際的な監視に耐えうる裁判の手法をイラク人と共に確立しなければならない」と述べた。

予断はゆるさない。この裁判が太平洋戦争後の極東軍事裁判であったり、報復のためのものであったりしないことを願う。

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