220「クリスマスの歴史」(2002年12月25日 曇り)

クリスマスだからと、夜、ガールフレンドのAさんと吉祥寺のフランス料理レストラン「パリジャン」に行く。きっとこんな日は客であふれているに違いない、と思ったがデフレのせいかまばらだった。コースも高いクリスマスコースもあるが、通常のコースもやっていた。彼女と私はジングルベルならぬシャンソンを聴きながら、冷えた白のムスカデワインと共になかなか豪華な夕食をとった。それから・・・・。

おもはゆくてデートの話を日記に書く気にはならぬ。そこでこの際だからとクリスマスの由来と歴史についてインターネットで調べてみた。

「主イエスキリストがベツレヘムの馬小屋でお生まれになって今年は2007回目のクリスマスになりました。」

ある教会のホームページの巻頭を飾る言葉である。
しかし、よく読んでみると実にうまい言い方なのである。イエスキリストが12月25日にお生まれになった、とは言っていない。そして「クリスマスの歴史」という文字をクリックするとなかなか面白いことが書いてあった。少し長いから要約すると

「迫害すればするほど増大するクリスチャン達に手を焼いたローマ帝国は政策を転換し、自らクリスチャンとなったコンスタンチヌス帝が313年「ミラノ勅令」でキリスト教を公認した。しかし土着の宗教、太陽神ミトラ教や農業神サターンなどとの激しい対立があった。そして12月25日には太陽神ミトラの誕生が祝われ、農業神サターンの世俗の祭りもおこなわれていた。そこで教会は、この古い大衆的な祭りをキリスト教化し、当時の世界宣教に役立てようと画策した。このようにしてまだはっきり定まっていなかったクリスマスを12月25日に祝うことが取り決められた。さらにこの方策が効を奏し、380年にテオドシウス帝の下でキリスト教がローマ帝国の国教と定められた。」

つけ加えると皇帝ネロによるキリスト教徒迫害や使徒パウロ殉教の話は1世紀後半である。また395年にローマ帝国は東西に分裂した。

「しかしこのような世俗的因習が教会に入ることを憂えた多くの教会のリーダーは、幾度となくクリスマスを禁止した。特に16世紀の宗教改革後は顕著で、イギリスではクロムウエルに率いられた共和制議会が「クリスマスと通常呼ばれている12月25日を祝ってはならない。」などの決議を行ったほどである。さらにアメリカでも移住したピューリタンたちによってもクリスマス禁止が維持された。しかしその後のヨーロッパからの大量移民によって1890年にやむなく12月25日が休日に指定された。」

要するにクリスマスの原点は世界宣教をおこないたいキリスト教会側と世俗の習慣とが合致した結果生まれたものなのだ。この機会にと、教会はキリストの誕生と聖書の教えを宣伝するが、ご都合主義のそしりは免れないようだ。

ついでにサンタクロースの原形は、4世紀の今のトルコのイズミール(スミルナ)に住んでいたニコラス司教に始まる。彼はさまざまな奇跡で貧しい人々を助けた、と言われている。後にギリシャ正教会は彼を「奇跡の奉仕者」として大聖人の称号を与え、ローマのカトリック教会も貧しい人々の味方と褒め称えた。

そんな聖ニコラスの功績をたたえ、ヨーロッパでは12月6日を「聖ニコラスの日」とし、その前夜に子供に贈り物をする習慣ができた。オランダでは聖ニコラスをジンタ・クロースと呼び、13世紀頃から「ジンタ・クロース祭」を祝った。17世紀にアメリカに殖民したオランダ人が「ジンタ・クロース祭」を行い、ジンタ・クロースはアメリカ風になまって「サンタ・クロース」と呼ばれるようになったという。

これで大体クリスマスとサンタクロースについてはばっちり、かな?

ところで最後にみなさんは、何歳くらいまでサンタクロースの存在を信じていましたか。煙突から入ってきて、寝床においた靴下にプレゼントを入れてくれると言う話です。私は小学校4年生くらいまでです。今の子はどのくらいまで信じているのでしょうね。

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