228「あちらの世界とこちらの世界」( 1月18日(曇り))

「地球上に、人口が多すぎるんだ。50億なら50億でそれ以上増やしてはいけないんだ。」
「そうだ、だから報道は「イラクで自爆テロがおき、30人死亡。人口の増加に若干の歯どめ。」と明るいニュースとして報道しないと・・・・。」

のっけから漫談調である。朝のラジオ体操のあとでのOさん、Yさんとの会話。しかしこういう話が出来る人がいること自体楽しい。
「大体、命がとてつもなく大事なものだ、なんて誰が決めたんだろう。」
「その思想がチューブ人間になっても生かしておくべきだ、なんてことになった。」
「平和ボケの世の中だけれど、あの池の鴨のような野生の世界や人間だって戦国時代等では死はごく普通の出来事だったものね。」
「死んだってあの世がある、と彼らは信じた・・・・」
「あの世は素晴らしいところだよ。極楽だよ。だってあの世に行った奴は、誰も帰ってこないじゃないか。」
「帰ってきたら大変だ!」
「死を悲しむという考え方はこの世が素晴らしいものだ、という前提に立っている。あの世が素晴らしいか、この世が素晴らしいか比較した物はいない。」
「死は新しい出発だから祝うべきものかもしれない。」
「キリスト教徒はそうだ。天国に行って神様のそばに行けると信じているらしい。仏教は極楽浄土で蓮の台だ。」
「ほかの宗教でもそうだ。ヒンズー教徒は老いて死期がせまるとガンジス川で焼かれることを願う。ゾロアスター教徒は鳥に食われること願う。いづれもそうなることによって神に祝福されると信じている。」
「私がイギリスにいたときの体験ではキリスト教では死者は別の人間や動物になってよみがえるという思想だ。」
「生まれ変わりという考えもある。仏教もそうだ。輪廻なんていって・・・・。」
「それなら死は祝うべき筋合いのものかもしれない。」
「紅白のテントに紅白饅頭、参列者にカラオケでもやらせればいい。」
「逆に結婚は悲しいことかもしれない。だって言うだろう。結婚は人生の墓場だなんて・・・・。」
「こう解釈してもいい。黒白がおめでたい色で紅白が悲しい色・・・・・。」

しかし若いときには死なぞ考えた事がなかった。それがこの歳になるともう20年か30年先には確実に存在するものとなり、時々考えざるをえなくなる。

人は死後の世界を見つめて現世をどういきるかを考える。死を認識することによって人間の行動が律せられる。あの世から誰も戻ってきたわけではないのだから死後の世界は全く分からぬ、分からぬから恐い。だから宗教が存在する、という気もする。「おぼれる者、藁をもつかむ。」の心境かもしれない。

最後に私の本音。死は祝うべきかも知れない、あちらの世界は極楽かもしれない、でも私はもう少しこちらの社会で元気に馬鹿をやっていたい。だからあまり考えないことにしたい。馬鹿をやっているうちに突然生から死の世界にうつれればいい。
ところで、生が終って死後の世界が連続的にくるものであるならば、その一線をやすらかに越えることを助ける医療技術の研究はなぜ行われないのだろう。桜の花にでも囲まれたような気分で死にたい、と願う。

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