230「私のモン・サンミッシェル」(1月25日(晴れ) )

「霧のからみつくそれは、黒い角張った岩のようにひっそりと動かなかった。しかしモン・サンミッシェル湾の広漠たる干潟には、真っ平な表面を損う岩石の類は、どんな形であれ存在しない。潮が引けば百平方マイルあまりが砂また砂。それが満潮時には波浪逆巻く大海原と変じて、海中からは城砦寺院モン・サンミッシェル・・・聖ミカエルの山・・・が屹立する。ゴチック洋式の縦長なアーチや中世建築らしい簡にして厳とした垂直壁がそびえる、暗色花崗岩による神の構築物の威容である。霧が渦巻き、流れ去り、毛皮の帽子と上等な厚手の黒いオーバーをまとった痩身の老人の姿が現れた。(「青木久恵訳)」

87年に上梓されたアーロン・エルキンズの「古い骨」の出だしであるが、モン・サンミッシェルの恐さと様子をうまく書き表していると思う。この後、老人は「水面下にすっぽり隠れるまで死に物狂いでもがいた」後、満ち潮に飲まれて沈んでゆく。ところが後でこの老人の持っていた潮汐表が古いものにすりかえれられていた事が分かり殺人が発覚する。

90年の6月に私はモン・サンミッシェルを訪れた。ボルドーから列車で北海岸を走り、夕方ポントルソンに到着、「地球の歩き方」にあった駅前のホテルに泊まった。ホテルといっても居酒屋の2階で朝食込みで一泊2000円くらい、私がいままで海外で泊まったホテルの中で一番安い!モン・サンミッシェルはそこからバスで10分くらい、翌朝、大陸と島を結ぶ堤防をバスでわたって、寺院のふもとにある駐車場に着き、お土産屋の並ぶ坂道を登っていった。日記を抜書きすると

「ガイドブックには満潮時には島との行き来が不能になるなんて書いてあるけれど、舗装道路が敷かれていてほんとうかしらん。」
「こりゃあ、江ノ島だというのが第一印象」
記憶ではふもとに有名なオムレツ屋があって、娘が二人向き合い、ボールに割りいれた卵を実にリズミカルにまぜて混ぜていたことを思い出す。

説明とガイドブックから引用してまとめたのか、日記には歴史が簡単に書いてある。
僧がこの地に始めて僧院を建てたのは8世紀。フランスはまだ未開の国だったから、僧たちは、蛮族に教え諭すようにキリスト教を布教していった。僧院の建っているところは不安定なため壊れやすく、すでに3度も本格的な建て直しをしている。
昔、僧たちは知識の宝庫だったから、フランスやイギリスの沢山の王たちが学問を習ったり、信仰したり、時には敵国の情報をえようとやってきた。そのため本来貧しいはずの僧たちは実はお金持ちだった。生活も優雅で、妻帯していた者も多かった。えらい僧ともなると立派な部屋をもち、立派な食堂で豪勢な食事をし(もっとも暖房はなかったらしい)、最上階のアルハンブラ宮殿を思わせるような庭から日がな下界を眺めていた・・・。

駐車場から見上ると、要塞のようにも見え、物見やぐらのようなものまである。そのためここは歴史的には要塞や刑務所など、僧院以外の目的で使われたこともあるという。

話が横道がそれたが、昨日に日本経済新聞にモン・サンミッシェルに渡る堤防を浮橋にしようという話がすすんでいるのだそうだ。

「ユネスコの世界文化遺産で「西洋の脅威」と呼ばれるフランス北西部の奇勝モン・サンミッシェルが危機に直面している。以前は干潮時だけ渡る事が出来る道が現れていたが、島の周りに砂が積もり、海にそそり立つ「孤島」はただの丘になりつつある。海に囲まれた本来の姿に戻そうと、自治体やオーストリアの建築家がたちあがった。」

原因は1879年に完成したあの堤防だそうで、潮流をさえぎる環境破壊の原因になった、という。「島の周囲には高さ2メートル分の砂が積もった。最近では雑草ばかりか低木まで生え始め、かって何人もの巡礼者が高波に呑まれた荒海の面影はない。」

結局、自動車で訪れる観光客を減らさず、物資の配送にも支障をきたさないことを条件に島本来の姿を取り戻すことで合意がなされた。現在の堤防を壊し、その上に支柱をめだたぬよう出来るだけ細くした浮橋を作るのだ、という。総工費183億円とか・・・。

でも・・・つまらぬことに金をつかうなあ、という気がした。満ち潮のときに沖の島との連絡通路が水没する、という現象は、江ノ島に限らずずい分ある。天童よしみの珍島物語だって「海がわれるのよ 道が出来るのよ 島と島とが つながるの」韓国版江ノ島・・・?モン・サンミッシェルは、あの島、あの僧院だけで十分一見の価値がある、それでいいではないか?

註 ご意見をお待ちしてます。
e-mail agatha@bekkoame.ne.jp
home-page http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha