234「あなたも突然裁判員!」(2月1日(曇り))


日本経済新聞1月30日付けによると、政府の司法制度改革推進本部が、今国会に「裁判員制度」に関する法案を提出する。司法への国民参加を実現するための中心的な方策として、位置付けられ、裁判に市民感覚や社会常識を反映させることも期待されている。予定では3-5年の周知期間を置いた後、2010年ごろ実施する見通しという。

手順は同誌7面の分かりやすい絵入り説明によると
1) ある日突然裁判員の候補に選ばれた、指定期日に出頭するよう召喚状がとどく。
2) 裁判所にゆくと裁判官から事件を説明される。すべての刑事事件が対象になるわけではなく「死刑または無期の法定刑の事件と、故意の犯罪行為で被害者を死亡させた事件」が対象で2001年1年間の事件に当てはめると約2750件ある。
3) 裁判員は公判期日に出頭する義務があり、仕事を調整して法廷にむかう。
4) 公判に臨み、裁判官席の隣席で、検察側、弁護側双方の主張を聞く。メモを取る事ができ被告人や証人に直接質問することもできる。
5) 検察、弁護側双方の主張が終ると裁判官、裁判員は評議室に移動し、審議を始める。法律解釈など専門的なことは裁判官にゆだねられる。有罪が無罪かのみでなく量刑も議論の対象とし、多数決で決定される
6) 判決の言い渡しに立ち会う。控訴された場合の控訴審裁判、一審に戻された差し戻し裁判は現在と同様裁判官だけで行う。
7) 裁判員は裁判について永久に守秘義務があり、もらすと刑事罰にとわれる事がある。

今回の案は裁判官3人(1人)、裁判員6人(4人)、裁判員の対象年齢は20歳以上である。これに対し、民主党案は裁判官一人、裁判員20人、対象事件を法廷合議事件とするなど範囲を広く、裁判員の比率を多くしている。
また海外には、米国や英国のように市民が有罪か無罪か判断し、量刑を裁判官に任せる「陪審制」とドイツやフランスのように市民と裁判官が一緒に有罪・無罪や量刑を決める「参審制」があるが、政府の案は後者にちかい。

本当にうまく行くのかなあ、というのが素人の感じ。
問題は裁判員の選定方法にあるように思う。政府案では裁判員の要件を「裁判所の管轄区域内の衆議院議員の選挙権を有する者」で、公務員になることができないなど欠格事由がある者、国会議員など職業上の禁止事由のある者、被告人など除斥事由のある者などが除かれる。その条件のもとで無作為に選出される、という。
OJシンプソン事件を見るまでもなく、被告、原告双方にとってどういう意見の者が裁判員になるかは一番の重要問題。何しろ多数決で量刑まで決めるのだから、絶対的権限を持っている。何か特別な力でねじまげられなければよいが、と思うのだが・・・。
また、隣の渋谷でフーテンをやっていたお兄ちゃんや、井戸端会議好きのおばちゃんが突如として裁判員として登場することもあるわけで、大丈夫かな、という気がするのは私だけだろうか。
そしてそういう風に選択したことで果たして市民感覚や社会常識を反映したことになるのだろうか。資格を持っているものは何千万人、そのうち5人前後を抽出してご意見を聞くことに統計的な意味はどのくらいあるのか・・・・ついそんな風に考えてしまう。

「12人の怒れる男たち」という映画があった。あれを見ただけでも裁判員制度の問題点が理解できる。ましてなじみのない日本、よほど国民の理解を求め、参加しやすい環境を整備しないとうまく行かないのではないか。現に日本でも1928-43年までの15年間陪審制を導入したが中止されている。


「ニューオーリンズ・トライアル」(2月10日(曇り))

「あなたも突然裁判員!」で、日本も裁判員(陪審員)制度を取り入れようとしている話を書いたが、この制度の問題点を突いた作品「ニューオーリンズ・トライアル」を見る。

ニューオーリンズの証券会社に、リストラされた元社員が乱入、銃を乱射して11人を殺害した後、自らの命をたった。それから2年後、夫を亡くした一人の女性が、凶器として使われた銃メーカーの責任を問う民事訴訟をおこした。地元のベテラン代議士ローア(ダステインホフマン)に代理人を依頼する。被告側の銃メーカーは負ければ同様の裁判が次々起こり、巨額な賠償金を払うことに成りかねない。そこであらゆる手段を弄してでも常に陪審員の評決を勝ち取ることで知られる辣腕コンサルタントフィッチ(ジーン・ハックマン)を雇う。

陪審員候補が選ばれ、原告側、被告側双方が納得の上で陪審員が決定される。この辺、中には是非やりたいと思うものも、逃げ出したいと思うものもいて人間模様が面白い。被告側は陪審員候補をごく個人的な問題点にいたるまで詳細に調べ上げている。従って問題ないはずだが、中に謎の男ゲームソフト販売委員に勤めるニック(ジョン・キューザック)がいる。やがて彼が陪審員の経験が豊富でまとめ役になっている事が分かり、被告側は何とかその正体を暴こうと放火までして資料を確保する。並行して「評決を売る」と称し、原告側、被告側双方に働きかける女マーリー(レイチェル・ワイズ)が暗躍する。彼女は実はニックの恋人。陪審員の評決が近づくにつれ、被告側の違法行為は次第にエスカレートしてゆく。果たして評決の結果は・・・・。

監督はゲイリー・フレダーという人。若手で1995年に「デンバーに死す時」を撮っている。主役のジョン・キューザックは1966年シカゴ生まれで小学生のころから劇団に所属、「マルコヴィッチの穴」「アイデンテイテイー」など多くにでている。真剣なテーマではあるが実にスピーデイに撮られており、いかにもアメリカ風、知的エンターテイメント映画ということができようか。気楽な気分で見るのも悪くない。

映画はそれなりによくできていると思うがおや、と思うところがないわけではない。まず乱射事件で夫が殺されたから銃メーカーを訴える、というところは必ずしもそれを正義と持ち上げていいのだろうか、という問題がある。犯人死亡だから当然、というのだが、日本ではどうだろうか。
陪審員候補の選任自体はいかにも公平なように流しているが、そもそも有権者の中からランダムに選んだだけで、あれだけエネルギッシュな正義漢がでてきたのか、との疑問が残る。もちろん妨害行為やスパイ行為もあれだけ堂々とやって警察は何をしてるんだろう、と首をかしげる。ただ、いくら秘密裏に事を運んでもあんな風にプロが出てくれば当然陪審員候補が誰か、選ばれた陪審員がどういう人物かは分かってしまうだろう。と、すればもっと陰湿な形で彼らに多方面から圧力がかかるだろうことは予想される。

最後にもう一つ、今回の裁判は民事であり、日本の陪審員制度で考えられている訴訟ではない。日本の場合は「死刑または無期の法定刑の事件と、故意の犯罪行為で被害者を死亡させた事件」が対象である。またこの判決で陪審員が銃メーカーに対する罰金額を決めたようにも取れるが、アメリカの場合、陪審員が決めるのは有罪か無罪かだけであるように記憶している。

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