239「松尾芭蕉は水道工事をしていた!」(2月24日(晴れ))

春風に誘われて、東中野から神田川に沿って歩いた。そのおり同行の女性から「松尾芭蕉は水道工事をしていた。」と聞かされて驚いた。そういえば椿山荘のふもとに芭蕉庵というのがあるがあれは何だろうと思っていた。インターネットで芭蕉と神田川について調べる。

すると「神田川芭蕉の会」というのがあることが分かった。事務局長をしている大松騏一という人の話が詳しい。この人は「神田上水工事と松尾芭蕉」という本も著している。以下の記事はその人のサイトあたりを参照してまとめた。

神田川は井の頭池を水源とし、隅田川に注ぐ全長25.5キロの河川である。井の頭池は三代将軍家光が「江戸の井の頭」と呼んだと伝えられ、そのころは7箇所から湧水がわきでており、あたりは鬱蒼としたもりにつつまれていた。神田上水の起源は、小田原攻めの功績により、1590年、徳川家康が関八州を任され、軍勢の水を確保するために家臣大久保主水が急遽掘削した、1629年、家光が神田上水(当時は小石川上水と呼ばれた)を改修させたなどの説がある。この後江戸の水需要のたかまりに対応して、1654年玉川上水が完成している。

神田上水の水は善福寺川、妙正寺川の水と一緒になり、大洗堰で水位をあげ、その勢いで小日向台南麓を流れて後楽園の水戸屋敷に入り、埋樋で屋敷を出ると掛樋で外堀を渡り、神田・日本橋地区に給水されていた。井の頭池から今は江戸川公園になっている文京区関口の大洗堰までを「神田上水」、関口から飯田橋までを「江戸川」、飯田橋から隅田川までを「外堀」と呼んでいたが、1965年の河川法の改正以来「神田川」と呼ばれるようになった。神田上水は明治43年まで使われ、近代水道が普及した後は、水戸邸跡に作られた東京砲兵工廠で工業用水として用いられた。しかし関東大震災で砲兵工廠が小倉に移転し、神田上水もその役割を終えた。

松尾芭蕉は、藤堂高虎の伊賀の国(上野市)出身の下級武士。本名を松尾甚七郎宗房といった。1644年父松尾氏、母桃地氏の子として出生。桃地氏は伊予から伊賀に来た者で忍者との説もある。1672年28歳のとき、俳諧の道を志し、江戸へ下向。日本橋の魚問屋・小沢ト尺宅に留まる。1677年34歳のときにト尺の貸家(日本橋小田原町)で宗匠として立机、「桃青」と号した。1680年37歳まで神田上水の工事にかかわり、以後深川に隠棲したとなっている。神田上水は1677年から8年かけて大修理が行われた記録があり、そのとき関係したのかもしれない。「奥の細道」を執筆したのは元禄5年(1693年)以降らしい。

芭蕉が工事現場でどのような仕事をしていたかは、帳面付け、水方の役人、普請奉行、水役などの説がありはっきりしない。なぜ工事に携わったかも宗匠では食べていけなかったのでアルバイト説、世に功を残そうとした説、藤堂家の家来として手伝った、パトロン生活からの回避説、営利的な点取り俳諧忌避説などがある。

芭蕉庵は芭蕉が1677-80年に住んだところ、工事現場小屋、水番屋などの説があるが、これも定かではない。当初は「龍隠庵(りゅうげあん)」と呼ばれ、長谷川馬光など多くの俳人が集った。芭蕉の33回忌にあたる1726年に「芭蕉堂」が建てられた。芭蕉像が祭られ、さらに高弟の宝井其角、服部嵐雪、向井去来、内藤丈草の像も納められた。1945年5月戦災にあい、芭蕉堂のみを残して焼失していたが、戦後に復旧された。芭蕉という号は、深川の庵に門弟たちが植えてくれた芭蕉から取っている。今庵内には芭蕉堂のほか、ふるいけやの句碑、バナナのような芭蕉の木、1750年芭蕉翁の墓として作られたさみだれ塚、ひょうたん池などがあり往時をしのぶ事が出来る。
ただ普通芭蕉庵というと、深川芭蕉庵が知られており、近くには「ふるいけや・・・」の蛙が飛び込んだ池とされるものがある。対してこちらは関口芭蕉庵と呼ばれている。

芭蕉庵の手前に目白通りに抜ける胸突坂があるが、そのふもとに大きな2本の銀杏と鳥居がある。石段を上がるとひっそりと水神社がたたずんでいる。創建年代は不明、祭神は,速秋津彦命、速秋津姫命、応神天皇。伝えによれば水神が八幡宮社司の夢枕に立ち「我水伯(水神)なり。この地に祀らば堰の守護神となり、村民を始め江戸町ことごとく安泰なり」と告げたのでここに水神を祭ったという。上水の恩恵に預かった神田、日本橋方面の人々の参詣が多かったといわれる。

またこの近く面影橋のむかい、甘泉園公園に隣接して1501年上杉朝興の建てた水稲荷神社がある。神田川沿いには他にも尾張徳川家のあった「戸山公園」、細川家のあった「新江戸川公園」など数多くの歴史的な見所がある。それらに薀蓄を傾けながら歩くこともまた一興ではあるまいか。

追記
芭蕉庵は、現在、個人宅であり、神田川側の正面入口からは入れない。しかし胸突坂に面した板戸から入る事が出来る。もっとも芭蕉堂は鍵がかかっている。胸突坂は細川氏の永青文庫、蕉雨園、目白どおりに出ると講談社野間記念館など見所が多い。

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