268「日本古典に見る性と愛」(5月29日(土曜日、晴))

63歳、数年前に妻に死にわかれ、子達は独立し全くの一人暮らし。そういう私は、いつも小泉首相じゃないけれど、ひざまくらをさせてくれる女性はいないかなあ。
しかし皆様「亭主?元気で留守がいい。」などと、どこかの広告にあったようなことをぶつぶつおっしゃるくせに貞操堅固。見向きもされない・・・。するとこちらとしては夫婦とは一体何だ?なぜ一夫一婦制を守らなけりゃいけないんだ?亭主も女房も共有したらどうなんだ・・・・などとつい不埒なことを考えたくなる。
その答えがみつかるかもと、何日間かかけて、父の残して言った蔵書の中の一つ「日本古典に見る性と愛」(中村真一郎 新潮選書)を読んだ。

著者は国文学の大御所で、この書では「古事記」「源氏物語」「徒然草」「近松や西鶴」「キリスト教文学」などを取り上げ、それぞれの時代の夫婦や性愛に対する考え方は、どうであったか、それに対する兆戦とはどのようなものであったか、文学はそれをどう捉えたかを解説し、検討している。

古事記の時代、近親結婚は当たり前であった。ただ一つ許されないのは同じ母親の兄弟姉妹くらいである。当時の社会通念の中で、性愛はあるがままの人間的現象として捉えられ、自然に受け入れられ、そこに道徳的判断はうまれていない。
平安時代に、恋愛は「好色」という型にはめられ、紳士的教養の一部となった。「好色」という概念は「伊勢物語」に初めて現れる。好きな女性だけでなく、広い対象に性的交渉をもつ、という主人公の態度を新しい文明的教養として、賞賛しようとしている。一方で相手の気持ちを尊重し、深くも浅くも相手を、性的対象として取り扱う、という態度が「好色」のモラルと成り始めていた。
「源氏物語」の主人公の多情は、今日の一夫一婦制を守る性道徳からすれば、怪しからんとしか言いようがない。しかし作者に主人公を非難する様子は全く見られず、逆に藤原時代の男性の、女性からみた理想像として描かれている。この時代は経済生活が妻の実家によってささえられる時代であり、男に養うという責任はない。平和な時代が続いたために若年から老年まで幅広い恋愛が行われた。源氏物語はそういう時代の「性愛」の型の種々層を展示したギャラリーのようにさえ読める。

鎌倉幕府成立と共に封建主義が始まった。武士は土地所有者であり、その土地を守り、拡大するために、主君に忠誠をつくした。財産は一家の長から次代の長へと受け伝えられていった。そのため結婚は、土地をもつ主人が、妻を家に納れる、という形式に変わった。離婚はかっては男性が家を去るという形で行われたのが、女性が家から追放される、という新しい形式をとるようになった。家庭内では夫と妻の関係は主人と奴隷のようにすら捉えられ、そこには相愛の感情は発生しがたかったら、恋愛がなく、恋愛小説というものが発達しなかった、というような説を唱える人もいる。
戦国時代にわが国に入ってきたキリスト教は、はじめて愛という概念を日本文化の中に導入した。しかもその愛には、神学的に「神および被造物たる隣人への愛」であるカリタス(アガペー)と「自らをひきつけ得て何人或いは何者かに対しての心の熱情」であるアモール(エロス)の区別があった。性愛は後者である。しかも彼らは、人間は神の前に平等であるとして、女性の地位の向上に尽くし、また男女両性に肉体の貞潔を要求した。洗礼を薦められた織田信長は、一夫多妻の習慣さえ黙認してくれれば、喜んで信者になろうが、といって躊躇したと伝えられる。
しかし日本に西欧に見られる「性は悪である、原罪である」という聖書的観念は根付かず、近親相姦は畜生道と恐れられ、人妻の姦通は家庭秩序の撹乱行為として処罰の対象となったが、江戸時代になっても性欲一般を悪として否定しようという動きはでなかった。平和が続き、社会制度は動かぬものと考え、そのもとで人々は性を謳歌した。やがてそれはデカダンスに走るようになる。

「はじめに」にある著者の「人は本質的に一夫一婦制を願うものである、というような偏見をすてることが大事である。一人の女性を愛することが、多数の女性を同時に愛するのよりも高級である、という考え方は、近代社会の生んだものに過ぎないことを、忘れないようにすることである。」との指摘はこの著の核心を突いている。
「現代社会は、ひとつの共通の性意識を持ち、ひとつの共通の性道徳の支配下にある、という状態ではなく・・・・多数の価値観が性の領域にも同時に共存している。」と認識し、「人類はいづれまた一つの新しい性道徳を作り上げる」ことになるかも知れぬが、私自身はむしろその多様性そのものを、十分、認識することに、強い興味をもつ。」とする。なかなか参考になる、と感心した。

ところでこの本の内容をある女性友達に聞かせた。すると彼女のいうことに
「女は平均寿命は長いし、普通の夫婦の場合、若いから、女が男の老後の面倒を見ることになるのよ。歳とってから男が女を捨てないのはそのせいよ。女はオカネの問題さえ解決できれば、どちらでもいいケースが多いんじゃないかしら。熟年離婚というのは断然女のほうから申し出るケースが多いと思うわ。」
それにしても現代社会は・・・・・女が強くなりすぎましたね。弱き者、汝の名は男なり・・・・クシュン!

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