27「歯の治療」(12月14日  晴れ)

世の中で一番いやなもの・・・・・「はーい、それは歯医者さんです。」
それでも行かぬわけにはいかない。3週間くらい前に食事をしていて、上左の歯がぽろりと欠けた。どうやら詰めてあったものが取れたらしい。早速東京ガス3階の歯科に行くと、「詰め物の下の部分が腐ってしまったのです。神経を取って入れ歯にしなければいけません。」それで今日の神経を取る手術になった。

いつも日記の題材をあれこれ探している。今日は一番の大事件だから、歯医者について書こう、と決めたがこれで終わってしまった。この前、歯垢の清掃に来たときは、技工がなかな美人で、取ってもらいながら、下から彼女の胸のふくらみやら、控えめにつけたイヤリングなどを眺め、想像をたくましくしたのだけれど、今日は面白くもない中年の医者だし、なにしろあのギーコギーコが怖くて観察どころではない。

家に戻ってそれなら歯医者の歴史でもインターネットで調べてみるか、と考えた。光源氏は晩年、実は総入れ歯で、紫上とやるときにはそれをはずしてふがふがしながらやった、などという話になれば面白い。
歯医者と歴史で検索をかけたところ、めったやたらに出てきた。それもほとんど町の歯医者の宣伝である。義歯の歴史と今度は少し長い言葉で入れると20件足らずに絞られた。その中のいくつかから話をまとめると以下のようになった。

1 エジプトには紀元前5世紀頃から歯科専門医がいた。その技術はフェニキアやギリシャに伝わった。
2 総義歯の歴史では、日本はヨーロッパより200年も早い。現存する最古のものは和歌山県の願成寺の創始者の通称仏姫と呼ばれる女性で、彼女は1538年になくなっている。
3 総義歯はヨーロッパのものは上下をばねでつなぐが(近代になって吸着式)、日本のものはあごに合わせてつげの木を細工して土台をつくり(この細工は、最初、木仏師がしたという)、それに歯を埋め込んだものを使ったから、個人個人にぴたりとあった。歯の材料は、最初、同じつげを使ったが、後には滑石や象牙を用いた。この木製義歯は1860年にアメリカのイーストレイクが来日、西洋式補綴術を伝えて、以後蒸和ゴム主体となっていった。
4 滝沢馬琴、ジョージ・ワシントン、柳生飛騨の守宗冬、本居宣長などは総義歯だった。
5 日本でも江戸時代になると義歯は結構普及していた。歌川国芳の絵に抜歯の光景がある。また義歯には合わないものもおおかったのか、「弁当に 入れ歯の残る 土俵際」などという川柳ものこっている。また井原西鶴は茶会の席で茶碗の中へ入れ歯を落とした話をかいている。
6 しかし虫歯の治療法は、19世紀までお手上げで、まじないか、抜くことか、痛み止めを塗ることくらいしかなかった。ぬいた歯が1,2本のときはブリッジを使ったが、多くなるとこれも出来なくなった。
7 局所麻酔には、1880年代にコカインが使われだした。1892年にドイツでプロカインが合成され、広く使われるようになったが、1942年スエーデンでキシロカインが発見され、現在ではこれが主流になっている。局所麻酔技術の進展によって本格的な治療が可能になったことは言うまでも無い。
8 観光客からもらう甘いものを食うせいか、日光猿軍団の半数は虫歯に悩んでいる。野生のサルはやっぱり虫歯にならないらしい。

こうしてみると歯医者の歴史の輪郭くらいはわかる。どうやら虫歯は文明病のようで人間が野生から離れたために起こる病気のようだ。局部麻酔技術が進展したから、治療は楽になった、治療技術も進歩した、最後は総入れ歯ということも可能・・・・皆さん、気楽な気持ちで歯医者さんにゆきましょう。・・・・・とは言ってもネ!
(1月13日)