275「イラク暫定政権への主権委譲」(6月29日(火曜日、曇り))

30日に予定されていた連合国暫定当局(CPA)からイラク暫定政権への主権委譲が、2日前倒しで28日に実現した。式典はバグダッド中心部で行われ、出席者はブレマー米文民行政官、ヤワル大統領、アラウイ首相などわずかに6人。しかもすぐにブレマー氏はイラクを離れてしまった。
なんともあっさりした式典。テロ警戒で前倒し、ブッシュは早く成果を出したかった、などいろいろあるようだが、イラク問題が一つの節目を迎えたことだけは確かだ。思えば開戦以来14ヶ月、物事は当初のシナリオとおりに進まず、紆余曲折。ああすべきだった、こうすべきだった、私は反対だった、などいろいろいう人がいるが、大事なのはこれからどうなるかということだ。その意味で今回の主権委譲は結構なことなのだが、前途は多難。ある学者の解説によれば「重要なステップだがこれによって情勢が安定化に向かうかは治安で非常に微妙、五分五分といったところだろう。」

イラク問題についての知識を日本経済新聞記事をもとに整理してみよう。
主権とは領土を統治する権利(統治権)、国家が対外的に独立している権利(独立権)、国家のあり方を最終的に決定する権利(最高決定権)の三側面からなり、具体的には領土保有、外交・軍事、国内の行政・司法・立法などが含まれる。しかし国連が「暫定政権は国の根幹を左右する決定を下さない。」としたため、当面軍事作戦の指揮は多国籍軍が握るし、憲法作成や大型油田開発などは議会発足後まで待たねばならない。
今の暫定政権は3月8日にイラク暫定憲法となる基本法制定を受けて、6月1日に発足した。このとき
アラウイ首相は同政権に加わっている主要九派が民兵組織の解体で合意した、各派の権力闘争が民兵間の武力衝突に発展する懸念はなくなったと発表した。イラク人口の六割をしめるシーア派のアヤトラであるシスタニ師も暫定政権を承認、統治評議会を「米国のかいらい」としてきた対米強硬派サドル師も将来の参加を視野に暫定政府との協力を示唆しはじめた、という。しかしシーア派、スンニ派、それに優遇され始めたクルド人などの不信がそう簡単に解消するとも思えない。この構造的弱点をついて、締め出される形になるヨルダン出身ザルカウイ氏のテロ組織などが、爆破テロ、ビジネスマン誘拐などで混乱を引き起こそうとしている。
新政権は7月下旬に国民会議開催、2005年1月に暫定国民議会選挙、10月15日までに憲法承認の国民投票、そして12月中に総選挙、末までに本格政権を発足させるとしている。同時にこの時点で多国籍軍の駐留期限が切れる。

今回の主権委譲を受けてブッシュ大統領は「イラク人は自分たちの国家を取り戻した」と宣言し、イラクが求める限り、多国籍軍を主導する米軍を駐留させ、治安回復とテロ撲滅を全面支援すると発表した。多分に11月の大統領選を意識してのことではあるが、兵の増派も検討されているらしい。NATO内に生じていた亀裂もひとまず修復され、イラク支援へ米欧が歩調を合わせる態勢もようやく整ってきた。さらに「極東の小国」日本も、「いち早く」人道復興支援とはいえ、多国籍軍参加を表明し、さらに新政権を承認した。
新政権は早速フセイン元大統領と11人の旧政権幹部の引渡しを要求し、受け入れられた。アラウイ首相は人道上の罪や大量虐殺、戦争犯罪などで7月にも訴訟手続きを始めるとしている。この裁判がイラク国民にどのように受け入れられるかも今後の安定に大きく影響するように思える。さらに原油生産の増強、外資導入、大幅な債務削減交渉など次々手をうって来ると考えられる。

シナリオ通りゆくかどうかは・・・・・正直言って分からない。しかし人々はそんな中で原油価格が値下がりした、という。経済人はイラクがこれから安定する、と考えたのか、安定することを期待したからか、その辺は不明である。庶民としてはうまく行くことを願うのみ。

ブッシュは誤った情報により、あるいは世界をだましてイラク戦争に突き進んだのかもしれない。しかしいまさらそれを言っても仕方がない。ふと、思う、この状況、太平洋戦争に負けて、自立に向かって歩きかけた昭和22,23年ころの日本を思い起こさせないか。今では太平洋戦争に負けずにあのまま日本が突き進んだ方がよかった、と思う人などはいない。少し時期が経った後、この米国の侵略がイラク民主化の第一歩になった、と内外から日本のように評価されたいもの、そうとすればそれに対して日本が幾分なりとも貢献しよう、ということは当然のことと思われる。

付「フセイン大統領の裁判」(7月1日(木 晴れ))

フセイン元大統領の身柄が30日、法的にイラク暫定政権のもとに移った。訴追手続きが1日から始まったが、長期間にわたった独裁体制を、反フセイン勢力で構成する現政権の司法がどう裁くのか、罪状や適用する刑罰の是非など、不透明な部分が多い。

例によって日本経済記事新聞記事などをもとに考えてみたい。
イラク特別法廷で昨年12月設置の独立機関、国内法だけでなく国際法に基づいて審理するという。これから法律を作るということであるが、事後法で裁かれることはない、というのが通例であり、それを当てはめるのはおかしい。
罪状は次のようなものになるとのことである。
・宗教指導者の殺害(1974年)
・クルド民主党のバルザーニ党首の一族殺害(83年)
・ハラブジャでクルド人に対し毒ガス使用(88年)
・クルド人の強制移住(86−88年)
・クウエート侵攻(90年)
・クルド人とシーア派住民に対する弾圧(91年)
・過去30年間に行われた政党メンバーの殺害
米国との戦いについて一言もないところが実に印象的である。どう見ても難癖のように見える。大体イラク人がイラク人をこのような理由で元大統領を裁くことに違和感を感じるのは私だけか?
案の定、大統領は「私はサダム・フセイン、イラクの大統領である。」と宣言し、強気の姿勢を崩さない。特にクウエート侵攻では「クウエートはイラク領だ。(侵攻は)イラク人のためだ。」と従来の主張を繰り返し、逆に「駐留米軍こそ侵略者だ」とまくしたてた。

極東軍事裁判がもし日本人の手で行われていた、とするなら、日本国民はどのような罪で戦犯たちを裁いただろうか。裁判では国際法の観点から戦争を始めた日本政府、および国家そのものを裁くのが目的でA級戦犯はその代表者であった。彼らのうち生き残った者は巣鴨プリズン煮拘束されていたが、昭和27年4月講和条約発効と共に日本側に引き渡された。日本政府はこの機会に全員釈放を要求したが、平和条約第十一条に「・・・・日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行する。」とあったため、実現しなかった。しかし日本政府はあらゆる機会を利用して釈放を訴え続け、昭和32年の岸・ダレス会談をうけて実現している。A級戦犯遺族にも恩給が支払われている。つまり日本人としては戦犯を裁いてはいない、太平洋戦争の責任を誰にも追及していないのである。

裁判について地元では「元大統領は自分が繰り返してきたように処刑されるべきだ。」という発言が相次ぐ一方、元大統領が潜んでいたテイクリート近郊では村人が「われわれの血をフセイン大統領にささげる。」と旧政権時代同様に連呼している、という。
現在の暫定政権は住民の6割を占めるシーア派からヤワル大統領、3割を占めるスンニ派からアラウイ首相、副大統領、副首相が1割を占めるクルド人からでるなどツギハギ集団である。新政権は死刑制度を復活するといっている。厳正な裁判を望む、などと牽制球を投げる者もいる。しかしどうもそう簡単にまとまりそうもない。

大体今回の経過、なぜ米国は軍事裁判で裁けるのに、イラクに引き渡したのか。テロの首謀者を米国の軍事委員会で裁くという大統領令に一部反対する声がある、との論調だが、捕虜虐殺問題も絡んでいるものと思う。しかもアラウイ首相が要請したとされるが、フセイン大統領の身柄は依然として米軍管理下にある。すると米国、特に軍当局は法的根拠は不明確だが、フセインを死刑にしたい、しかし自分たちの手でやると問題が大きい、そこで新政権で問題を投げ出した、と解釈できぬこともない?

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