我が家の墓は、父が、生前に買い求めた。所沢聖地霊園で西武がやっているいわゆる民営墓地である。寺院墓地のように、寺の宗旨をおしつけられず、墓の形は自由。我が家は、ごく普通の一般和型。この形は、もともとは江戸中期にできあがったもので位牌を模しているとか。五輪の塔型のものはさすがに少ないが、洋型にし、何々家の墓などと書かず、悠、偲、大空、和などの字をいれている変わったものも目立つ。
12年前に母が、8年前に妻が、4年前に父がなくなった。浄土真宗だから戒名にはみな釈や釈尼の文字がつけられている。浄土真宗の場合、死後の霊魂を認めないということで卒塔婆はなく、お盆でも静かに眠っている死者をおこしてはいけない、とかで迎え火をたかない。書物には位牌も本来は作らないとあるが、我が家の場合は作っている。それも大体は坊さんの助言によるから、書物が正しいかどうかは分からぬ。
次女夫婦に誘われて今日は墓参りに行った。南無阿弥陀仏!
しかし墓に行くといつも思う。骨は骨壷に入れられてカロートに入っているわけだけれど、時と共に溶けてなくなってしまうのだと聞いた。三人それぞれに思い出があるけれど、実際はもうここには何もないのかも・・・・。そう思うとなぜお彼岸、お盆、お正月などに定期的に行くのか疑問にもなる。キリスト教徒は墓の形も自由だし、墓を定期的に訪れるということをしないそうだ。
日本での火葬という風習は、700年奈良の元興寺の僧侶・遍照を遺言に従って行ったのが初めてとか。703年には持統天皇が天皇としては初めて火葬に付されている。それまでは巨大古墳などにみるように土葬だった。位牌や戒名は鎌倉時代から室町時代にかけて禅宗の僧侶によって中国から伝えられた。檀家制度が江戸時代初めに作られ、すべての人々が寺の檀家に所属させられ、先祖供養、葬儀、お墓に関する年中行事が決まっていった。しかしそれらが戦後どうなったかは、みなさんご承知のとおり。
墓というのは日本では家制度と深く結びついているように思う。個人を重んじるキリスト教徒の場合などは墓も個人単位であると聞く。もっともこれも一般論なのだろう。モンマルトルの墓地に行ったとき、有名な音楽家の墓などは個人だったが、エデイット・ピアフは、家の墓に合奏されていた。調べてみると個人、家のほかに比翼塚というのがあるらしい。これは夫婦二人のお墓。夫を右に、妻を左に戒名や法名を刻む。(ただし遺されたほうも生前に戒名を受ける必要がある。)故人のそれは墨で黒く塗り、遺された人のそれには朱を入れておき、亡くなった時点で墨に替える。後妻をもらった場合には?愛人がいた場合には?仲良し塚かって?知りません!
誰かが、お墓参りに行ったら故人に今の自分のおかれている状況を説明し、いろいろ話しかけるのだ、と言っていた。お父さん、お母さん、**子・・・・でも月日のたつのが早いこと。状況も変わったなあ!言いにくいことも多いなあ。
最後に話の出たついでに調べたから法律的な話を書いておこう。
お墓の法律的な定義、埋葬する場合の手続き、お墓の管理に関する規則や罰則は、1948年に施工された「墓地、埋葬等に関する法律」およびこれに基づく「墓地、埋葬等に関する法律施工規則」に定められている。
またお墓の購入は、永代使用権という権利を購入するということで、不動産を購入することにはならない。従って不動産取得税、固定資産税、都市計画税等もかからない。相続に際しては「祭祀財産」とされ、相続税はかからない。
註 ご意見をお待ちしています。
e-mail agatha@bekkoame.ne.jp
home-page http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha