308「バカと利口」(11月9日(月) 晴れ)

ブッシュ氏勝利のエッセイについて、イラク戦争は間違い、ブッシュ反対の彼がいうことに
「ブッシュはバカだ。あんな人を選んだアメリカ人もバカだ。」
「利口が選ばれるなら、ノーベル賞学者が立候補すればいい。」と言うと変な顔をした。
ずいぶん極端な、と思ったが、新聞報道では実はケリーもそういうことを言っていたらしい。「こんなバカに負けているなんて信じられない。」(11・6日経夕刊)

しかしバカとは一体何なんだろう。この対句になるように利口という言葉があるがそちらも分からぬ。インターネットで馬鹿と利口で検索したところ25000件以上ひっかかった。しかしどれも自分流の考えや主張のようで、これと言ったものは見当たらぬ。仕方ないから?自分流で考えてみる。

バカにはもちろん絶対的馬鹿もいる。精神異常者は確かに一般には馬鹿なのだろう。
しかし政治的にバカというとき、しばしば自分の考えあるいはフィーリングにあわぬ相手に対する蔑称として使われているように思う。

時にその呼び方を正当化するような議論にでくわす。「だって、大学だって中退だろ。」「成績悪かったんだろ。」の類である。この言い方は政治に当てはめても全然間違えている、とは言い切れないのが苦しいところ。確かに利口であれば、はっとするようなアイデアを出す事がないとはいえないからだ。
しかし、人を相手にしたとき、まったく関係ないように思う。大学中退者のほうが、あるいは成績が悪かった方が、人間的魅力がある場合が多い。ものごとを判断するとき、一つの見方に固執しないから結構バランス感覚の取れた決断をする。

これは私は、この世が「利口だけの作り出している世の中」ではないからと思う。大衆の考え方を理解するには自分もまた大衆の立場に立てなければいけない。それが利口にはできない。「なんでこんな自明なことが分からないのか。」
では利口とはなんだろうか。これは広辞苑で割りに分かりやすい。
@たくみにいうこと、口先のうまいこと A賢いこと、利発 別に利巧というのがあってこちらは「すばやく、巧みなこと」とある。

最近二つ認識したように思う。
一つは馬鹿というのは時によって必要であること。むしろそれに徹するくらいの方がよいということ。人間は利口だけではだめで馬鹿な部分がなければいけないこと。
もう一つは究極の利口は己を知って行動できること
馬鹿に徹する方がいい、と書いたのはとたとえばスポーツである、研究である、芸術である。これらのものはある意味ではバカに徹しないと成功しないのではないか。馬鹿な部分がなければ、というのはこの世は人と人がささえあって生きている。全部利口な人間がいたら窒息してしまう。人間だからというところは、絶対必要だ。
己を知る、ということは実は世の中で一番大事なことと思う。己を知って馬鹿に徹するならそれもよし、利口になる道を求めるならそれもよし・・・・・。

アメリカ国民もブッシュもある意味ではバカなのかもしれない。しかしそうこき下ろす我々も、ケリーもある意味ではバカなのかもしれない。

鶴田浩二じゃないけれど「何から何まで真っ暗闇よ、すじの通らぬとことばかり、右をむいても左をみても、バカと阿呆のからみあい・・・・」
現実をよく言い当てていると思いませんか。

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