朝の公園でのラジオ体操、また首吊り自殺者がでた。
終って、私も現場らしき木の下をそっと覗き込む。死体は既に下ろされ、毛布がかけられ、顔だけが見えた。白髪、何か赤っぽい上っ張りみたいなものを着ている。「女性ですか。」と聞くとそばのおばさんが「男性らしいですよ。」「もう少しなのに・・・そんなに急がなくてもよかったのに・・・」ともう一人のおばさん。多分70歳か80歳だろう。私はすぐにその場を去った。
一人暮らしだろう。金の問題だろうか、寂しかったのだろうか。しかしインターネットで調べると意外なエッセイにであった。
「意外なことに、自殺をする老人には子ども夫婦や、孫たちと一緒に住む、三世代同居家族に目立つという事実が1977年ころの調査で明らかになっている。」
「むしろ、一人暮らし方が、近所の人と交際したり、それなりの精神的豊かさがあるのかもしれないのではないか。頼る家族がいながら頼れない人は、心の動揺が激しく、自殺を考える傾向が強くなる。」
「一人暮らしをさせるのは、気の毒だと思う方も居るかもしれない。しかし、老年期は自然と人との交流が縮小してしまうが、その乏しさを孤独感に直結せず、かえって落ち着いた楽しさを感じている人も少なくない。高齢者が自分の子どもや孫と同居を好まない理由は、自分の家に住むことで、自分の欲求や好みにあった最高の環境を作る事ができるという点である。そして、自分の子どもや孫たちと同居することによって、彼らに余分な心配や労力をかけたくないと思っているからである。」
(http://osaka.cool.ne.jp/takigizayo/page022.html)
別のサイトには、監察医の書いた本を読んだなかからとったとして
「老人の自殺のトップは病苦になっているのに対し、著者は異論を唱えました。老人が自殺したのは本当は病苦などではなく、共に暮らす息子夫婦が邪険に扱っていたためというケースを指摘したのです。家族同士が仲良く暮らす中で自分ひとりだけがのけ者にされるという寂しさは、一人暮らしにも増して余計に孤独感を深めることになる。」
「著者は、福祉を受ける人間だけでなく、それを支えている側の人間の苦悩をも取り除いてやれる政策が望まれるとほんの中で語っていました。親を自分の家庭に引き取りながらも、虐めて自殺に追い込んでしまう息子夫婦だって、自分の生活や心に余裕のない人たちなのかもしれないと思いました。」
結局は連れ合いがなくなれば自分ひとりで生きるしかない、最初のエッセイは「これからは、高齢社会の時代だ。第二の人生の目標到達を探すこと、それがまず大きな課題になるだろう。」と結んでいるがまさにその通りだと感じる。
ただ一つ心配なのは倒れたとき・・・・そのときのことを考えて老人ホームというのがあるのかもしれない。
しかし私は私の父のことを思い出す。晩年になってから隣に住んでいた私も「我が家を増築して一緒に住んだら・・・」と提案したところ、父は問題外という顔をした。確かにそのころ父は40坪くらいの家に一人で住み、書斎は油絵の道具とステレオが占領し、隣の勉強部屋は書庫になり、別の部屋は計算機室になっていた。そういうものを捨てて私の増築する6畳一間に住めるか、というところなのだろう。それでいて死後父の日記を開いたところ、ところどころに「また息子はテニスになど行ってしまった。何が面白いんだろう。」などと書かれ、暗にこちらに来て話し相手になって欲しいと書かれてあった。一人にはなりたく、かといってそれでは寂しく、人間というのは勝手なもの・・・。もちろん私も、今のところだが、息子や娘と同居など考えていない。それくらいなら自分の世界はうっちゃっても老人ホームかなあ、などと考える。
今日は月に一度の陶芸のお稽古に行った。おばさんたちは「電気の小島が善福寺に開くので青梅街道はものすごく混んでいるわ。」「あら裏の路地も人でいっぱいよ。」「何しろテレビが1台198円なんですって・・・。」公園の首吊り自殺なぞ、どこ吹く風の議論が、元気よく飛び出していた。
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