日本放送とライブドアの争いに話が移ったとき、Nさんが「テレビは私は一人で見るのが好き。」といいだし、ひとしきり議論を呼んだ。一人で見る理由は
「横からああでもない、こうでもないとコメントを入れられるのがいやなのよ。」
「趣味が全然違うわ。ヨンサマなんか夫は全然興味ないもの。」
それから話がテレビのチャンネル権にうつった。あれは、昔はオヤジのものと決まっていた。ところが最近は主婦のもの、あるいは子どものものになってきているように見える。いや、あれは特に見たいものがないから任せているのだよ、というオヤジがいるかも知れぬが実際は平和裡に権利を侵害されているように思う。
テレビのチャンネル権というのは無言のうちに一家の権力のバランスを象徴しているように見える。ジイサン、バアサンはもとから自分の意見など通してもらえなかった。妻が我が物顔でチャンネルを操作しているのは、オヤジが会社で苦労している事が忘れられているか、失職でもしているか、あるいは稼ぎの中心が妻にうつっているか、そんなことを感じさせる。子どもがチャンネル権を握っているのは子どもが親の手におえなくなり、触らぬ神にたたりなしと放置しているように見える。
でも、本来は、オヤジは権威、あるいはその象徴であるべきでチャンネル権を放してはいけない。それが確立されているだけで、妻がオヤジを立てている様子が分かり、家庭がある程度円満に行っていると推測できる。子が馬鹿馬鹿しい番組とテレビゲームを我慢させられ、オヤジの趣味を知り、宿題をおもいおこさせられていると推測できる。
逆に言うとオヤジに頑張ってもらいたい。民主主義に毒されて妙に物分りがよくなってもらいたくない。少々恐い存在になって欲しい。主婦が一人で見るのはいいけれども、オヤジが主張したらチャンネル権は譲って欲しい。子どもに対してチャンネル権を一時的に与えることもよいけれど「私の許す範囲で・・・。」という条件付きにして欲しい。まだ稼いでいない子どもにそれを自由にする権利など絶対にあってはならぬ。
テレビは昔は一家に一台あれば十分であった。しかし最近では個人の部屋にも、子ども部屋にも、寝室にも、さらにはお風呂にも・・・・、時代は変わったものである。しかもそれだけテレビの内容が国民に欠かせぬほど重要になったかというと逆で、低俗化はますます伸展し、誰かが言ったように「一億総白痴化」を助長しているように見える。
ライブドアとフジテレビが日本放送をめぐって株の争奪戦を演じている。その中でライブドアは視聴率優先主義を掲げている。視聴率でテレビ番組を決めるというのはいくらなんでも情けない様に思う。しかしこれに対してフジテレビが放送の公共性などなど並べ立て、誰でも出来るわけじゃない、外国人がメデイアを制するのは問題、などとしているのを聞くと「その前にもうちっとましな番組を作れよ。」と言いたくなる。
子ども部屋にテレビなど、携帯電話と同様、必要ない。現在のテレビの現状を考えればしごく当然である。
テレビは仕事を終えた後、オヤジでも、オヤジが不在なら妻でかまわないが、一服しながら見るべきものである。テレビやテレビゲームが主流になって、仕事や勉強が付録で付いてくるというのは阻止しなければならぬと感じる。
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