347「ヨハネ・パウロ2世死去」(4月6日(晴れ)水曜日)

10億人を越えるカトリック教徒の指導者、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が2日夜バチカンの居室で84歳の生涯を閉じた。
本名、カロル・ボイチワ。1920年ポーランド生まれ。同国南部クラクフ大司教。枢機卿を経て78年に58歳で第264代法王に選出された。イタリア人でない法王の誕生は455年ぶり、132年来で最年少の法王であった。
法王は戦時中ナチスの追及を逃れて地下教会で活動、戦後は共産政府の弾圧下で多くの聖職者が投獄されるのをみた。こうした体験が全体主義への強い敵意を植えつけた。

就任早々、母国ポーランドを訪問し、カトリック復権を訴え、自主労組「連帯」のワレサ議長を支持し、反共産主義を明確に打ち出した。マルタ会談では、米ソ首脳会談を明日に控えた当時のゴルバチョフ書記長と会談し、冷戦終結を高らかにうたいあげた。米国の強硬姿勢を尻目に、キューバのカストロ首相と欧州諸国を近づけ、最近では米国、英国のイラク開戦に最後まで反対した。世界宗教の融和を提唱し、イスラエルとの国交を回復しエルサレムを訪問、嘆きの壁を前に祈りをささげた。さらに十字軍の略奪やカトリックがナチスのユダヤ人迫害を、黙認したことを認め事実上謝罪した。地動説のガリレオ・ガリレイの名誉を359年ぶりに回復した。

しかし一方で94年の国連人口開発会議に際しては「中絶は家族や結婚の価値観をおとしめる。」との主張を展開し、コンドームの避妊に対する有効性を認めようとはしなかった。これは人口爆発やエイズ問題に悩む国際社会に大きな議論を巻き起こした。さらに安楽死や人工授精に反対し、さらに女性司祭の叙階を認めず、同性結婚を邪悪と非難したため、その強固な保守性を非難する論敵も多かった。教会再生のために、自ら絶対的権力を駆使することに躊躇せず「信仰と真実の問題にアメリカ式民主主義を持ち込むのは間違いだ。真実が何か、投票するものではない。」とした。

ついでながら、1981年2月に来日、被爆地広島と長崎を訪問、法王と接した被爆者らは「ヒロシマ・ナガサキの意味を世界に伝えてくれた。」と功績をたたえる。同じ年の5月に聖ペトロ広場で、メフメト・アリ・アジャに狙撃され重症を負うが、回復した後、獄中で彼に許しを与えている

法王の業績については、評価する声がある一方、批判も多かったようだ。しかし両方を天秤にかければ前者が多い、法王でなければ物事がすすまなかった、とする声が多いのだろう。教会の民主化、女性の対策などは次の法王が必要と考えれば取り組めばよい。

8日の葬儀にはアナン国連事務総長、シラク大統領、さらにブッシュ大統領も弔問した。日本は国家としてのバチカンとの立場から、川口前外務大臣が出席した。弔問外交も活発に行われた、ときく。一般弔問は200万人以上がサンピエトロ寺院で法王の遺体に別れをつげた。普段教会にゆかぬ御仁もこればかりは別と何時間もかけてかけつけたとか。
カトリック教徒は10億人強、世界人口の6分の1、しかもバチカンは小なりと言えど独立国である。そのトップの死に対してこれだけ騒ぐのは、当然とも考えられるが、それにしてもすごい。仏教徒やイスラム教徒のトップではこうは行かぬ。法王の実績とそれに裏打ちされた力、そしてその人柄があってこそではなかったかと思うのである。
米国のカトリック雑誌発行者リーズ神父は「何が正しくて何が間違っているか、法王は自らの信念に基づいて明確に語る。だから人は尊敬するのだ。信念と信仰のひとだからだ。たとえ法王と意見が一致しなくても、人は彼を尊敬した。そういう人だ。」と語っているという。同感である。

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