350「母の13回忌」(4月17日(晴れ) 日曜日)

母の13回忌。・・・・坊さんを呼んだわけではない。私と私の子達家族、それに弟夫婦が11時に所沢の墓地に集合し、墓を清め、献花し、手を合わせておしまい、後は車を連ねて吉祥寺のホテルに行き、会食となった。

「お飲み物は何にしましょう。ロゼワインなど時節柄如何でございましょうか。特別なものを用意してございます。」「じゃあ、それにしよう。」と言ってから、なんだかお祝い事をしているみたいだなあ、と感じた。長女が「お父さん、こういうときは遺影を忘れちゃダメよ。」というから持ってきた遺影だが、見つめる目も少ないように見える。
同時に持参した父と母の茶色に変色した結婚写真をみて「お母さん、きれいだったじゃない。」と嫁。珍しいものを見た、という顔をしている。母が生前「横浜でお式をあげて山水楼でお披露目をしたのよ。」と言っていたのを思い出す。多分太平洋戦争の始まる直前、昭和15年のことであったと思う。

この13年の間に、娘二人と息子一人が結婚しそれぞれ家を出て行った。孫が二人できた。妻と父が他界した。「この中でおばあちゃんを知っているのは誰かしら。」私と弟夫妻、長女、次女、長男、子どもまで含めて11人出席したが、そのうち6人である。
「後2年後におじいちゃんの7回忌、4年後にお母さんの13回忌、それから4年後におじいちゃんの13回忌・・・・。」「当分これじゃ僕は死ねないなあ。」間違えそうだ。
私の世代は私と弟夫婦の3人だけ。子どもたちの世代が5人、孫が3人。

その老人グループの会話。
「ところで僕たちはこういうものをやってもらえるだろうかね。」というと「すっかり忘れられるのが落ちじゃないか。」
「僕のところはお墓がないだろ、この前考えたんだけど、もったいないからやめにしたよ。」と弟。一応父母の墓は長男である私が管理している。「個人がいなくなればオシマイさ。こういうのをしてもらったって、本人はもう存在しないんだから関係ないさ。」「粉にして播いてもらうが一番かな。」

家という考えが失われて、個人中心の世の中、死者は忘れられ、墓の意義は急速に衰えてゆく・・・・。世代を私たちの父母の時代、私たちの時代、息子や娘の時代、そして孫たちの時代に分け、それぞれの世代が考える家、その象徴たる墓を考えると一層はっきりしてくるように思う。

孫たちは屈託がない。一人はケーキ、ケーキと騒ぎ、もう一人はホテルをお城みたい、とはしゃいでいたがエビのフライを急いで食べ過ぎてもどしてしまった。こういったものはやはり故人に思い入れがあり、それを語る場なのだ。彼らには父母しかなく、私たちですら遠い存在に見えるのかもしれない。

註 ご意見をお待ちしています。
e-mail agatha@bekkoame.ne.jp
home-page http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha