日曜日というのに、雨が降り続け、寒い一日。
しかし明日はもう立春、そこで今日は節分である。札幌で雪祭りとのニュースが入る一方、梅がそろそろ芽吹き始め、花粉症が心配されだしている。
昨日、井草八幡宮に行ったときに、今日の午後3時から豆まきがあるとの紙が張ってあったが、すっかり忘れてしまった。ついでのことに豆を食うことも忘れてしまった。
豆まきは神社でやるものか、お寺でやるものか。神道か、仏教か、と問われると判然とせず、日本人の古来からの習慣と解釈した方がいいようだ。宗教的行事か、と問われると・・・・・うーん、よくわからない。
インターネットで節分について調べてみた。
豆まきは年男か、あるいは一家の主人が「福は内、鬼は外」などと言いながら煎った大豆をまき、みんなで自分の歳の数だけ豆を食べるとこれから1年間病気にならない、と言われている。・・・・とここまでは大方の常識。
この豆を最近では「下に落ちたものを食べるなんてきたない」といってピーナッツを使う人が増えているそうだ。新潟地方から広まったという。チョコレートやキャンデーをばらまくという手合いもいるとか。
鬼は普通悪者だが、そうとも限らないとの考えもあるらしい。秋田のなまはげは鬼の原型らしいがあれは悪者か。鬼の中には町の守り神になったり、神社に祭られているものもいる。一寸法師に退治される鬼となるともう道化役者だ!
そんなことから、台東区の鬼子母神では「福は内、悪魔外」といい、「鬼は外」とは言わない。愛知の大洲観音は「福は内」だけ、奈良県の天河神社では「鬼は内、福は内」、埼玉県武蔵嵐山の鬼鎮神社では「鬼は内、福も内、悪魔外」等々。
「おに」というのは「穏」が語源らしく、本来「見えないもの」であったが、やがて仏教の夜叉・羅刹などを描いた絵画の影響で、現在のような鬼の姿になったという。ついでのことに牛のような角を生やし、虎の皮のようなパンツをはいているが、丑寅の方角が鬼門であったことに由来するとのことだ。
こういった純粋な意味での「鬼」以外に、過去の日本の歴史の中で「鬼」として取り扱われてきたものがある。それは「よそもの」である。
たとえば道祖神は、よそものの「鬼」の侵入を防ぐ効果がある。仲のいい男女神なので、その間を通り抜けようとすると、「邪魔するな」とばかりに跳ね返されてしまう。
共同体の外のものを「鬼」とみなす心理構図は、桃太郎がはるばる海を越えて鬼が島に鬼退治に行くといった話にも見られる。
この構図の延長で、戦時中は敵国に対して「鬼畜米英」などと言う言葉を使った。それが面白いことに戦後になると一転、鬼とよんでいたアメリカを神様みたいに扱い、それから半世紀アメリカの真似ばかりしてきた。
そうなると鬼は善玉なのか、悪玉なのか。
国際化の時代、日本は、外国人つまり鬼を受け入れることをいろいろな面で求められている。一方で日本の広い意味でのテリトリーを守る必要性にも迫られている。昔イギリスにいたとき、知りあいの夫人が「イギリスはパガン(異教徒)の国になってしまった!」と嘆いた。そうなっても困るのである。
(2月20日)
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