塩野七生の「海の都の物語」「続海の都の物語」を読んだ。ヴェネツイア共和国1000年の歴史を、14のラ・コンテ(物語)を語ることによって描き出した傑作である。
アッツイラのフン族に追い詰められた人々は、他の民族と違って神の啓示に従って海に住み始めた。やがてビザンチン帝国に属すると共に、交易の自由を認められた。あわせて首都を現在のリアルトにうつした。
ヴェネツイアは、そこに住む人々の協力がなければ成り立たない国である。運河はその典型で、もともと水があったところに陸を作り、そこに住み着くようになった。交通機関・運河の重要性によって、運河沿いに住む業種、その奥に住む業種、さらに内陸に住む人たちと人々の住む地域を強制的に分けることさえした。運河に沿った家は運河側に別に出口を持ち、家のスペースは制限され、それでも自然が恋しく中庭を持つような作りになった。
その結果、徹底した民主主義の国、アンテイヒーローの国となった。
共和国で普通行われる政治上の手続きはきわめてゆっくりとしたもので人々の意思を統一するために時間が掛かる。そこで非常時に、権限を委託された少数の人物だけで政策決定をする方法をとった。一方で政治が一人の手に帰さぬよう、二重三重の策をもうけた。
ヴェネツイアは、かなり早い時期に教区を作った。しかしながら、政教分離が徹底していた。聖職者さえ、法王は勝手に任命できなかった。もちろん政治に口を出すことは許されなかった。このことは中世しばしばローマ教会との対立を招いた。イデオロギーよりも商売を優先して考えた。第4次十字軍への対応などはその典型である。
ヴェネツイアは、海と自分たちが結婚した、としている。海で糧を得るために海賊を行う方法と交易に由る方法があるが、後者を選んだ。障害となる海賊退治等を通じて、アドリア海を制圧し、イオニア海をへて地中海に進出し、次第にその交易範囲を広げて行く。こうして15世紀まで,海運国であり続け、海外貿易に生きた。海を目指した大きな都市国家がイタリアには4つあったが、最後にジェノヴァを打ち負かし覇権者となった。しかし16世紀になると、圧倒的な物量をもとに戦う陸軍を主体としたオスマントルコの台頭に苦しんだ。商売をしようとする国と、打ち負かしてその領土を確保しようという考え方は最後まで妥協点を見出せなかった。ヴェネツイアは法王、スペイン等の協力を得て1572年のレパントの海戦で勝利するもののチャンスを生かせず、次第に押されてゆく
さらに新航路の発見・オランダの台頭等により、交易による幾つかの事業の衰退を招き、ヴェネツイア資本家は、投資先を内陸にその根拠地を置く手工業などに求めて栄えた。しかし17世紀になると、地中海交易そのものの重要度の減少にともない、海洋技術の衰退、さらには手工業や農業にも衰退を招き、活力がなくなった。1714年第7次トルコ戦争で、ヴェネツイアは東方の拠点をすべて失い、アドリア海だけを守る小国となった。
投資の対象先の変遷は、またヴェネツイア人の精神の変移をもたらし、堕落し、18世紀末の衰退を招いた。平和を望んだが、それを維持する力がなくなり最後はナポレオンに国を滅ぼされることとなった。
この書物全体を通じ、大国の間で、その英知を生かして活躍し、そして衰えて行った姿が、日本の今の姿と重ね合わせ、大変参考になったように感じた。
なお同じ著者の三部作「コンスタンテイノープルの陥落」「ロードス島戦記」「レパントの海戦」をあわせ読む。これらの事件はヴェニスの歴史と密接にかかわっており、さらに理解するために読むことをお勧めする。
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