この頃、よく夢をみる。毎晩見るような気がする。夢は、意識下に考えていることの現われだ、と大体の書物には書いてある。
その通りなのか、若い頃の夢は、自分自身の断片をあらわしていたように思う。
いつの間にか空を飛んでいる。ところが落ちそうに感じる。両手をひろげてばたばたとやる。懸命にやる。しかしだんだん高度が下がり、ストンと落ちるように感じ、この世の終わりと思った瞬間、目が覚める。こういうのは何度も経験がある。
水泳を習っている頃は、泳げる夢を見た。バタバタとやっているうちに、いつの間にかゴールについている。上から声をかけられた自分が一番だと気がついたりする。
受験の頃は、合格者発表の夢を見たこともあった。掲示板が雨で濡れていた。あった、と喜ぶが、もう一度見上げると消えていてがっかりする。
夢で自分の物語をつむぐこともある。いつかボートのような船に乗り、川を上ってお姫様を助けに行く夢をみた。不思議に川の名前を「ごうのがわ」と言うのだと覚えている。お城に入れず、逆に追いかけられて逃げてきて、追いつかれそうに成って目が覚めた。お城の名前を「いまいちじょう」と言うように記憶している。ところが後で調べると「ごうのがわ」も「いまいち」も実際に存在する地名で不思議に思った。多分いろんな記憶の断片が集まって妙な物語を作り上げたのであろう。
若い女性とセックスをする夢を見ることもある。大抵は一番いい、ここぞというときに目が覚めてしまう。あの続きを、と思って目を閉じても、続きは見られぬから不思議である。女性はどんな夢を見るのだろう。え、私に抱かれそうになった夢をみたけれど、いいところで目が覚めた?
よく小説などでいろいろな夢の話が語られる。あれは大抵は嘘だと思う。目が覚めている作者が、自分のストーリーに合うように作り上げた物語と思う。なぜなら夢は、私の経験では、ほとんど記憶に残らないからだ。色がついているか、いないかもナンセンスな議論だ。そんなことを夢の最中に意識しない。
夏目漱石の「夢十夜」には、自身の見たと称する十の夢について思わせぶりな事が書いてある。しかしスジが通りすぎていて、私にはとても体験談とは思えない。自分の心象風景を文字に表したということなのだろうか。夢野久作は、有目な「ドグラ・マグラ」の中で「胎児は細胞から赤ん坊として生誕するまでに、原初の昔から人類が誕生し、進化して行く過程の夢を見、それがすり込まれる。人間の本能的行動はそのすりこみにそって行われる。」としているが、その想像力に驚く。胎児の夢だから記憶にあるわけがない、これが間違いとは言えないだろう、といわれればそれまでだが・・・・。
ところで最近見る夢、私は余り心配性ではない。
旅先で病気なって死ぬとか、強盗に襲われるとか、交通事故にあうとかそういう夢は見そうで見ない。それだけ度胸が据わってきたからかも知れぬ。
ただ取り止めがなく、意味がまるっきりない。
列車どこかに行こうとしている。しかし途中でもう引き返さなければ、と思い始める。ところがどの列車に乗ってきたのか思い出せない。迷っているうちに、ふっと目が覚めてしまう。ボケが始まったのではないか、と心配になるような夢だ。
みなさんはどんな夢を見ていますか。一度自分の見た夢を忘れないように枕元に紙と鉛筆を置いておくことを薦めます。目が覚めたらすぐ書くんです・・・。
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