432「玄侑宗久の「私だけの仏教」」(2月15日(水曜日)晴れ)

著者は芥川賞作家で、京都天竜寺専門道場で修業した、臨済宗妙心寺派福衆寺副住職。

副題に「あなただけの仏教」とついている。
このようなタイトルの真意は、私用に勝手にアレンジしている仏教ではないが「所詮全部を学ぶことなど不可能なほど仏教は膨大だから、全体の見取り図が分かったならそれぞれ自分用にアレンジする、自分用の仏教を作ってもいいのではないか」との考えによる。
仏教が分かりにくいのは一つには教典が多すぎるからである。インドから伝来したお経に、中国産、日本産のものが加わったためで膨大。布教時点で文字の読めない人がおおかったため、かなりデフォルメされたことも影響する。日本の浄土宗以下の仏教に正統な仏教が存在するわけがなく、いづれも独自の切り口で仏教の一部を強調している。この辺がカトリックを中心にまとまったキリスト教と異なる。
仏教が発展した理由は、理屈や説得ではなく、釈尊の人間的魅力そのものと思う。だからここで作り上げる仏教も、あなたの様子を魅力的に変化させるような実践的なものでなければならない、とする。日本の仏教には他の宗教、儒教、道教、神道などの影がある。これらをのぞくことは出来ない。所詮ひとりで立っている原理原則など生きた宗教ではない。あらゆる宗教は、個人の体の中に納まって初めて動き出す。

すべての宗派がまとまれるコンセプトとしてまず「七仏通戒偈」をあげる。「諸々の悪をなすことなかれ。衆くの善を奉行せよ。自ら其の意を清むる。是れ諸仏の教えなり」
次ぎに三帰依。「仏・法・僧」を敬え、である。ここでいう僧は普通の僧ではなく「和合する」とか「和合する人々」の意味である。目指すものは「孤独な仏教」ではなく、それぞれが自分の味を出しながら、相手の味をひきだしていく関係である。
仏教を実践するに際して、著者は「結果的には「世のため、人のため」になることでも、「正しい」からするのではなく。「楽しい」からしているのだ。自分だけの仏教を作り上げ、それが正しいと思い込むと、人に強く勧めたくなる。しかし勧めていいのは「あなたも自分なりの仏教を作れば。」ということであり「私の仏教」をおしつけることではない。」この延長で著者は「私だけの仏教」と「家の宗教」との折り合いを説く。

仏教の出発点である釈尊の最初の悟りの内容は、「苦」から解脱である。生・老・病・死の四苦を感じ、「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」をあわせた八苦からの解脱を目指して修行を始めた。五蘊とは「色・受・想・行・識」という人間機能のすべてをさす。それゆえ何らかの苦悩を抱えた人が、仏教の正当な入門者なのかもしれない。しかし「私だけの仏教」を作り上げても、苦悩から永遠に解放されることはない。
これらあらゆる苦悩は、もともと備わっている高次元の智慧(一切智)がさまざま混同することによって興るが、それを除去する方法(道諦)も存在する。道諦の具体的なものを仏教では八正道(正しい見方、正しい思考、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい思念、正しい禅定)とするが分かりにくい。著者はこれらを戒・定・慧に解脱を含めたものと解釈する。言語や思考や行動を制限するのが戒律である。それによって正しい生活が導かれる。そうした生活や日々心がける努力によって、始めて禅定がもたらされ、初めて智慧が発現し解脱にいたる、と考える。
こうした考えに基づき行ずる場合、まず「戒律」である。五戒は「不殺生戒」「不偸盗戒」「不邪淫戒」「不妄語戒」「不飲酒戒」であるが、どれも完全な実践は不可能に近い。しかしその方向を心がけることは大切であり、自分にあった戒律を定めるべきだ、と説く。さらに著者は、彼岸に至るための実践的方法論である布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六波羅蜜を比較的分かりやすく解説している。

好みの仏教をインド風、中国風、日本風にわけている。インド仏教と中国仏教の大きな違いは、前者が輪廻という考えをとるのに対し、後者が人生とはせいぜい楽しみを享受する時間で、死後は転生するのではなく幽冥界なる暗くて冷たい箇所に鬼として存在する、という考え方であろう。供養によって「気」のつながった先祖たちも喜ぶと考え、お墓等を大切にし、追善供養など行うようになった。せいぜい楽しみを享受する時間の考え方は、労働に対しても敷衍され、生産活動の重視と貨幣への寛容さに繋がった。
日本に入ってきた仏教は、文化を受け入れる器でもあったが、さまざまな教えがほとんど並列状態で入ってきた。まさに「和え物」思想になった、と著者はとく。それぞれが「私だけの仏教」のもとに理解され、文字の読めぬ大衆に分かりやすい方法で布教された結果、在来の神道などとも混交し、独自の多くの宗派を生んだ、といえようか。

最後に著者は仏教を行ずるための心得をあげているが、省略する。ただし次の歌は非常に暗示的である。
  極楽は西にはあらず東にも 北(来た)道さがせ南(皆身)にぞある
分かりやすい本とはいいがたいが、仏教の精神と言ったものを感じさせる一冊といえようか。

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