テレビによると、昔、那覇市壷屋町に、登り窯があったそうだ。しかし都市化の波が押し寄せて、郊外に立ち退きを余儀なくされた。その陶工の一人が、沖縄の海の色を大皿の上に再現しようと頑張っている。珊瑚礁のある岸辺近くがウス青く、波頭の向こうは濃い青になる、その青の変化を表現したい、のだそうだ。
石垣島に2泊、那覇に2泊、沖縄旅行を楽しんできた。西表島のガイドが「今が観光シーズンのピーク、ドンドン稼いでいる」と言う。夏は客の数が今の1割くらいになるのだそうだ。みな本土の寒さを逃れたくて来るのだろうか。
2,3年前に初めて沖縄に弟と行ったときは本島だけだった。今回は石垣島滞在の間に、西表島などのツアーにも参加した。忘れていた田舎の生活を思い出した。
西表島は、沖縄では本島に次ぐ大きな島でありながら、バスがろくになく、交通信号も2つあるだけ。車の規制よりも、児童の教育に使われる。知っていないと都会に出たときに困るからだとか。牛車にのって由布島にわたったが、あれはタイミングが狂う。向こうに着くまですべて牛任せ、御者は、ハエタタキのようなもので時々尻をたたくだけだ。それでも西表島は、最近Uターンなどで人口が増え気味というからいい。竹富島は、地盤の関係で作物が育たぬこともあって過疎化が止らぬ、医者はおらず、時にはヘリコプターで石垣に患者を運ばねばならぬこともある、という。
豊かな自然を感じた。仲間川の河口に、沢山のマングローブが生えていた。今は夜になると潮が引き、潮干狩りが出来るのだそうだ。しかし我々が楽しんだのは、島の東側をわずかだけ、時間があれば西側や山の中を体験したいもの、と感じた。陶工の目指している「青い沖縄の海」は石垣島ツアーなどで体験、特に川平(カピラ)湾は素晴らしい。
本島の首里城を見て、改めて、本来日本の文化圏に入るべきところなのが、と疑問を感じた。琉球王国は、もともと明朝との朝貢貿易によって王国を維持してきた。それが1598年の島津氏の琉球侵略で強引に日本に組み入れられ、利益を搾取された。もっとも中国との関係も、明朝から清朝に権力がうつるものの途切れず、二重支配に苦しんだ。明治になって、日本は、1874年に台湾出兵を行い、清朝に琉球を日本の領土と認めさせた。王国は断絶し、沖縄県が出来た。中国の抵抗で、一時宮古・八重山を中国領とすることも検討されたが、日清戦争で決着がついた。しかし復元された首里城は、どう見ても中国風である。首里城の主だった尚氏一族は台湾か中国本土か、そちらの出身ではなかったかと思う。
もう一つ感じるのは、やはり戦争の爪あとである。そんな風にしてまで日本の領土としたが日本は冷たい。
太平洋戦争末期、沖縄は、本土防衛と国体(天皇制)護持のための時間稼ぎに使われた。またひめゆりの塔を訪問したが、また涙がでてきた。日本軍壊滅後は、住民が信頼していた日本軍による住民殺害事件も多発した。戦後は米国の統治下におかれるが、サンフランシスコ講和条約では、米国のアジア戦略最重要基地として見捨てられた。1972年にやっと日本復帰が果たされたが、米軍基地は残ったままで、現在でも日本の米軍基地の過半がある。那覇では、ホテルから国際通りに向かう途中「普天間基地移設反対」のお昼休みデモが少人数ながら行われていた。
ひょっとしたら、沖縄の時間稼ぎのおかげで、今日まで生きながらえることの出来た私たち。そんなことは別にして、思い切って旅行を楽しんできた。
平和通りの公設市場で買ったイセエビは、二階で料理してもらったが格別の味、その後行った民謡酒場も楽しかった。であった人々はみな楽しげに、親切にみえたし、外国の感じも残しながらやはり日本、気楽な楽しい旅を満喫した。沖縄自体も過去は過去として、未来を見つめ、観光立県しようとしているようにみえる。
いうまでもないが皆さんももう一度行ってみたら・・・・その際、離島観光も忘れてはいけませんよ。
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