最近日記は40字36行以上を目安にしている。
別に理由があるわけではない。ワードのA4、1ページの標準がそうなっているからそう決めているだけである。第三者は時々長すぎるというから、短くしてもいい。しかし怠惰な私は際限なく短くしそうで恐ろしいから、とにかくこれだけは書くようにする。もちろん長くてもいいが、小説でもない限り読んでもらえそうもない。
こんな事が書きたいと思ったら、関連することや感じていることをまず書いてみる。正確にはパソコンに打ち込んでみる。3つか4つ話題がたまってくると何となく論みたいな感じになってくる。それをパソコンの中で切り貼りする。切り貼りしても筋にならぬときは1日か2日寝かしておく。それから見直すとうまい考えが見つかってきたりする。追加分を含めて、大抵この段階で所定の字数にはなってしまう。また1日か2日経って読みかえす。また追加と削除をくりかえす。そうやっているうちにだんだんまとまってくる。まるで絵か彫刻のようである。本来の日記とは大分違う。しかしこういう組立作業ができるところがパソコンで文を作る楽しさだとおもう。
書こうとすることについて、一時は、まず手元資料やウエッブサイトを調べた。すると結構薀蓄が書ける。テーマがバレンタインデーだったら、それに関連してチョコレートだのウイスキーボンボンだの調べるとそれなりの記事にはなる。毎年バレンタインデーはめぐってくるからテーマを少しづつ変えててゆくと、数年で結構知識がたまる。しかし何となく面白くない。薀蓄よりも貰ったチョコレートの味、相手の顔、気持ち・・・・そんなもののほうがいい。
そこで最近は資料を調べずにいきなり書くことにした。しかし最初の1行を書くとき、これは書く事があるか、と心配に成る。しかし当初に述べた方法で続けてゆく。すると途中で分からないことがある。ここでウエブや手元資料を調べる。さらに当初に述べた方法を繰り返す。進む方向はオチをできるだけ考えるようにしている。すると時々進む方向が違ってくる。それはそのときで、もう一度最初から読み返し、前後を入れ替えたり新しいことを追加したり削除したりする。時々エッセイはデイスクジョッキーとどう違うのか、などと考えてしまう。
人間が粗雑である、と十分自覚している。結果、誤字や脱字がよく出るし、メールで指摘してくれる親切な友人もいる。
「定年になって暇なんだから、もっとチェックしてからみんなに配りなさい。」
頭が下がるばかりである。ただ自分自身はこれでも少しはよくなった、と感じている。もう5年目に入っているが、初期の頃より少しは慎重になった・・・。
きれいな文章を書きたい、とも考える。推理作家の島田荘司は作家になる前に詩を勉強したが、それが役に立った、とどこかで書いていた。そういえば「津軽海峡冬景色」などを作詞した阿久悠の作品を二つほど読んだが、すごくセンスのある文章と思った。
最後にタイトルの問題。タイトルは最後につける。タイトルというのは全体を現すようなものをつけようとまじめ腐って考えていた。しかし最近は文章全部は無理だが、タイトルくらい洒落てみよう。
ガールフレンドのAさんから電話。「昨日、「家政婦はみた。」という番組をみたわ。」ふとこれを「家政婦はのぞいた」とすると大分違うと考えた。同じことなのだけれど・・・・
追記 某氏のメールから
家政婦は見たという番組、市原悦子主演ですね。
市原悦子、泉ピン子、研ナオコというところは
主演級三大不美人女優ですね。小生も暇でドラマをよく見ますが、
これらのかたがたのものは余りみません。別に美人でなければ
いけないということではないのですが、なぜでしょうかね。
泉ピン子を好きでひいきにしていて自作のドラマの主演に指名している
有名な小説家も、なぜか自伝小説のドラマ化のときには泉ピン子を
避けたそうですね。不美人が売り物の女優は得するときと損するときが
あるのですね。
註 ご意見をお待ちしています。
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