1)ウルルン島(鬱陵島) 東南側200里 孤独な島一つ 鳥たちの故郷
誰がいくら自分の 土地だと言いはっても 竹島は私たちの土地
竹島は韓国語では「独島(トクト)」という。1982年韓国ではやった「独島はわが土地」が、あるホームページで日本語に訳されていた。これはその1番、最初のフレーズを
「隠岐島 北西160キロ」と変えたい日本人は多いに違いない。
2)慶尚北道ウルルン邑南面島洞 一番地
東経132度 北緯37度 平均気温12度,降水量は1200 竹島は私たちの土地
ここは出だしを「島根県隠岐郡隠岐の島町」と変えたい。
3)イカ イイダコ 大邱明太 亀 サーモン卵 水鳥の島 海女 待合室
17万平方メートル 井戸一つ 噴火の竹島は私たちの土地
これは別に変える必要はない。竹島の重要性を素直に現している
4)、5)は韓国の歴史教科書にでもありそうな事がズラズラ並んでいる。「ハワイはアメリカの土地 対馬は日本の土地 竹島は私たちの土地」は「は」を「も」に変えたい。
竹島問題がにわかにキナ臭くなってきている。この問題がどういうことか知りたいとウエブサイトを捜すと池上彰氏の分かりやすい解説が載っていた。抜粋すると
「そもそも竹島が日本の領土になったきっかけはアシカである。1903年隠岐の島の人が皮革をとるためアシカ猟を初め、その日本領土編入要請に基づき、1905年日本は島根県に所属させることにした。1910年に韓国併合。しかし日本が第二次世界大戦に敗れ、1946年マッカーサー元帥が「日本の行政権の及ばない島々」を列挙する指令を出した。この中に竹島は含まれていたが、どこの国のものになるか定めたものではない、とも書いてあった。1951年9月サンフランシスコ講和条約が結ばれたが、こちらには、日本は「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」を放棄する、とあった。つまり竹島は入っていない。
ところが1952年韓国の李承晩大統領は「臨海海洋主権」を宣言し「この線の中は韓国の領海だ」と主張し始めた。これを李ラインと呼ぶが、その中に竹島が入っている。
これ以後日本漁船が次々に拿捕されることになる。また1954年になると韓国は竹島に警備隊を常駐させ,灯台も建設してしまった。日本はその後国際司法裁判所への提起を提案するが、韓国は「独島は韓国の領土であり、領土紛争など存在しない。」と提訴を認めない。1965年に日韓条約が結ばれ、日本は韓国に賠償金を払わぬ代わりに「独立祝い金」を贈り、韓国の経済発展のために経済協力資金を提供することで話がまとまった。ところがここでも竹島問題は棚上げにされた。
その後日韓双方の漁船が、相手方の排他的経済水域でも漁業が出来るとする日韓漁業協定が結ばれた。しかし現実には自由に島根県の漁船が、漁ができない事がおこるから、島根県はせめて日本の国民に竹島のことを知ってもらおうと「竹島の日」を定めた。ところがこれが反発を招いた。韓国では子どもの頃から「独島はわが国の神聖な領土」と教え込むと共に、1982年に冒頭の歌がヒットしており、ナショナリズムに火をつけた。」
ところで国際法上実効支配が50年続くと、その領土は実効支配していた国のものと認められることになっている。それに今回は6月の国際会議で竹島周辺の海底地名を韓国名にする提案を出そうとしている。日本としては韓国の実効支配を認めないというアピールをしておかなければならない状況になった。
どちらにも言い分はあるように思われる。
韓国は日本が軍事力を行使できないのをいい事に無理やり強奪しようとしているようにも見える。しかしながら50年以上にわたって、遠吠えするだけで、実効支配を可能にさせていた日本側の責任も重い。今まで国民が、韓国の実効支配を知らなかったわけではない。しかし平和国家を標榜する日本国内から、総意として強攻策を取ろうという提案はなかった。本当は話し合いによる解決を目指す、ダメなら仕方がない、との隠れた日本の合意が存在し、問題を先送りしてきたのではないか。とすれば、今さら正面から「日本の領土」と騒ぎ立てるより賢い解決方法があるように思うのだが・・・・。
後記 22日夜、やっと日韓外務次官会議が一応まとまった。海洋調査を中止する一方、韓国は竹島周辺の海底地形の韓国名表記を6月の国際会議に提案しないこととした。しかし今回の合意は、いわば緊急避難。問題を先送りにし、韓国の実効支配を伸ばしたに過ぎない。火種は残ったままである。
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