45「修善寺温泉の春」(3月5日   晴れ)

九十九折の坂道の左右は、杉、杉、杉である。山道は石で階段状に組まれており、かなり急勾配だが歩きやすい。ひんやりとしたよい気持ちである。
高浜虚子の句碑を過ぎると、眺望が開け、尾根らしいところに出た。反対側は梅林・・・・真っ盛りといおうか、少し散りかけているといおうか。
昨日から修善寺温泉に来ている。
此の里に悲しきものの二つあり
  範頼の墓と頼家の墓と(正岡子規)
源頼家は正治元年(1199)に、父頼朝の死により家督をついで、鎌倉幕府二代将軍となった。しかし北條氏との抗争に破れ、ここ修善寺に逃れていたが、結局、修善寺門前の虎渓橋際にある箱湯で暗殺された。
範頼は源義朝第六子で、頼朝を助けて、義経と共に平家征伐などに功績があった。しかし頼朝と義経が対立したとき、義経をかばったために幕府横領の疑いをかけられた。彼もまた修善寺に幽閉されたが、結局梶原景時に攻め入られ、自刃した。
二つの墓には、昨日修善寺や独鈷の湯の見学にあわせて行って来た。今日は帰りまでの少しの時間を利用して梅林を見に来たのである。
修善寺は、温泉発祥の寺で大同2年(807)に弘法大師が開基したものである。今は禅寺で、うっそうとした古木に囲まれ、時折一般客も座禅修業の体験をさせてくれるそうだ。同じ大同2年、大師が桂川で病みつかれた父の体を洗う少年を見つけ、その孝心にうたれ、独鈷杵(密教の仏具)で川中の岩を打ち、霊泉を湧出させたとつたえられる。修善寺温泉がいかに古くからのものであるかが理解できる。
観光地は、その場所にふさわしいやり方で演出するべきであると思う。その点修善寺は、非常に上手にやっていると感じる。
桂川沿いの古い温泉の建物、赤い欄干のついたきれいな橋、大正時代を思わせる人力車、竹林、梅、桜、格子戸、前述の頼家や範頼の墓をはじめとする数々の遺跡・・・・そういったものが心憎いまでに上手に配置され、京都を思わせロマンを感じさせる。
この梅林に続く「花と文学の散歩道」と称する山道も、頂上の梅林も、おそらくはそれに隣接する虹の郷もそういった演出の一環なのだろう。
梅林を散歩する。起伏の多い土地に梅がその他の木に混在して植えられている。
岡本埼堂の修善寺物語は、頼家暗殺に伴う面作師夜叉王の話である。明治44年東京明治座で2世市川左団次の夜叉王にて初演され、大好評を得た。歌舞伎作品にはめずらしく翻訳され、昭和2年にはパリでフランス人俳優によって上演された。
修善寺物語碑、市川左団次碑、そしてここ修善寺で大病し、その後作風を変えたという夏目漱石碑等が梅園内あちらこちらに配されている。
売店そばの茶屋が開店しようとしている。丘の上にある富士見台からは緋毛氈を敷いた縁台が二つ、三つ見える。煮炊きをしているらしい煙がゆっくり立ち昇っている。
それほど広くはないが梅の花と香を充分堪能できる。どこかで鶯が鳴いている。春だなあ。そういえば昨日は桂川べりで緋寒桜が満開だった。今年は2月に暖かい日が多かったから、桜の開花も例年より早いという。
しかしなぜ梅に鶯なのだろう。どうして雀やからすじゃいけないのか・・・?梅の香りが鶯をひきつけるとでも言うのだろうか。
30分くらいいて山道を戻る。苦労してやってきた道も軽い、軽い!
女の子二人連れが登ってきた。「上は梅が咲いているんですか。」当たり前すぎる問いかけ、どうやら登り道に少しへバリ気味らしい。「そりゃあ、見事なもんですよ。もう一頑張りです。」と答えて手を広げてみせた。

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