とうとう65歳である。
別に意味があるわけではないけれど、65歳は一つの区切りのように見える。
介護保険の被保険者となり、先日保険証が送られてきた。
正真正銘、老いから死に続く門をくぐった感じがする。
夜、新宿の小さなスナックで毎月行われる高等学校同期の集まりにゆく。雨の中、出席者7名。雑談に花が咲き、2時間くらいを楽しんだ。
何となく孔子の言葉の話が出てきた。A君が論語のあの文章を覚えていた。
吾れ十有五にして学に志す 三十にして立つ 四十にして惑わず 五十にして天命を知る
六十にして耳順う 七十にして心の欲するところに従って矩をこえず。
この言葉をウエブを調べるといくつも解説がでてきた。
孔子は紀元前552年、山東省曲阜の昌平郷という小さな村で私生児として生まれた。奇しくもその11年前釈迦が誕生している。極貧の幼少時代をすごした彼は、政治家を志し、諸国を放浪する。やっと四十で故郷魯の国で職を得るが、長続きしない。
再び放浪を続けるが、68歳で妻が死去、故郷魯に戻り古典の整理などに従事するが、やがて長男「孔鯉」、弟子の「顔回」「子路」死去などと続く。74歳で他界。
この言葉を孔子が言ったのは、もう死の直前ではなかったかと思う。思い出は、過ぎ去った日々を美化する。孔子の人生は、計画的なものでも、格好いい人生でもなかったに違いない。そしてそのことは、孔子自身も意識していたと思う。
彼は十代から青春時代にかけて、よい生活をしたい、そのためには優れた政治家になりたいともがいて失敗した。物分りのよい人間などではなく、我執と自己主張の強い人間だったのだろう。しかしそれでは他人は使えず、挫折し、年を経て自分はこの程度と天命を知り、ようやく人のいうことに耳を貸すようになり、今更何をやるに体力も気力もなくなった、というところではないか。
ただその思いのたけを表現し、人を説得する力が妙にあったから、弟子が出来、評判になった。後世、弟子が孔子の発言をうまく整理し宣伝した結果こうなった。こういうところはキリスト教や仏教の成立史と基本的には同じである。
ところで65歳、我々ももうこういう年齢に近づいてきた。
考えるに孔子の魅力は、若いころの攻撃的な論理性にあった。故郷に帰り、昔のことをぶつぶついう老人に魅力があったわけではない。
耳順という言葉はあまりいい印象を受けない。なんだか物をハイハイと聞いているだけのように聞こえる。物を聞き、それ自分で考え、自分の知識経験に加え、今後の行動に役立てるというそういう積極的な感じがみられない。
同様に「矩をこえず」というのも伝統墨守に聞こえて気に入らない。
こんな言葉より誰か言ったか知らぬが「生涯一兵卒」あるいは「ある版画家は100歳になって後30年分の版木を仕入れた。」なんていう話のほうが好きだ。
グループの中でB君が張り切っていた。駐輪場システムを販売する会社を、経営しているが、ようやく軌道に乗ってきたらしい。そこに行くと、私などはどうもいかんなあ!
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