書店に行くと般若心経の本は結構ある。262文字の経典をもとに、著者自身の経験、知識、人生観等で適当に味付けし、薀蓄を並べ、多くは写真なども取り入れて美しい仕上げにしている。少し節約すればウエブサイトにも全訳や解説が載っている。その中であえて玄侑宗久氏の本を買ってきたのは、著者の本を2,3冊読んで馴染みがあり、その考え方を聞いてみたかったからである。
私たちの心身は、対象を色・受・想・行・識の「五蘊」を経て認識する。最初の色と同様のものが全部で六つあり「六境」、すなわち色・声・香・味・蝕・法である。それらを感じ取る「受」の器官としてまた六つ「六根」、眼・耳・鼻・舌・身・意がある。受け取った情報を元に脳内に一つのイメージが出来る。これが「想」。そして「行」たる意思が芽生える。「識」が形成される。
色・声・香・味・蝕・法が認識されるにはそれ自体に「変化する」性質が備わっていなければならない。変化し合えるからこそ関係する。無限の関係性の中でおこる絶えざる変化を「縁起」という。宇宙の実相は、このように時々刻々変化する無数の「縁起」が、仮に和合して現象したということも出来る。世尊はこれを「空」と名づけられた。何もないのではなく、数学における「ゼロ」の概念に近い。
たとえば花瓶を見る・・・・犬と人間では感覚器が違うからまったく別な姿を見せるはずだ。しかしどちらも「空」という実相に依存している。「無常」であり、「縁起」の中で変化し続ける「空」だからこそ、それぞれの感覚と関係しあい、それぞれ別な「色」を作る。「色」は「空」に異ならず、なのである。
「空性の原理」はこの世に存在する者すべてに当てはまる。
あらゆる現象は、生まれることも滅することもない。汚れることも清らかになることもない。増えることも減ることもない。
たとえば「生まれた」とか「滅した」というのは、脳と感覚器官による勝手な判断である。ありのままの実相ではなく脳内に現象した大雑把な概念である。人間は、生まれてこの方、与えられた環境に従ってこの「概念」を積み上げてゆく。そして積み上げられた無数の「概念」によって「分別」し、それこそが「私」だと信じている。この概念を仏教では「戯論」と呼び、物事の実相を見るためには是非とも排除すべきものと考える。
しかし脳は、「概念」のモノサシで物事を分け、単純化して把握したがる。分かるように分けた結果「色」が生じるが、本来は「空」である。このように考えると実は「五蘊」も「六根」も「六境」もそれ自体に自性はなく「空」であると結論できる。
このような世界で「苦」についての議論が進められる。
「苦」には「生・老・病・死」の四苦と愛別離苦など八つの「苦」がある。それらは無明、行、識など十二の因縁によって生まれる。「四諦」とは「苦」が存在するという真理、「苦」は何らかの因縁で発生したのだという真理、「苦」は発生した以上滅するものだという真理、それにその実践方法に関する真理である。「縁」が滅すれば「苦」も滅するだろう。そのようにする方法として、世尊は、八正道を示された。正しい見方、正しい思考、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい情念、正しい禅定。何が「正」なのか悩むことも多いが、一応「中道」と考えるべきか。
そして最後に「苦」の根源が語られる。それは「私」である。
「空」というのは「いのち」のまま、「色」というのはそれに脳、つまり「私」が手心を加えた現象である。感覚、表象、意思、認識この順でドンドン拵えものになる!この「私」だけは特別、死ぬはずがないとどこかで思っているから苦しむ。最後に生きるための忠告を一つ。
「「私」がどう転んでも真のやすらぎはやってきません。知的に明確に知ることで得られるのは、やすらぎではなく単なる満足にすぎません。知的に知る主体は「私」だからです。「私」には断片化された世界を安易に全体と勘違いする危険もありますのでご注意下さい。長年、世界の中心であるような意識を持ち続けた「私」の殻は相当に強固なのです。」
仏教論理は、分かりにくいが、すべてのものは変化している、自分流の固定した考えにこだわるな、という風に解釈すれば大雑把にはいいのかもしれない。この本、世界中の政治家に読んでもらいたいと願うのは私だけだろうか。
後記 読者の一人からこのテーマについて次のメールをいただきました。
ご興味があれば、扇子を買われるといいですね。
大きな寺院では近くの売店で売ってます。
紫の紙に金文字で両面書きです。
表は般若心経うらは字の読めない人のために絵文字で書いた
般若心経です。
たとえば
仏の絵、背中の絵、釜をさかさまにした絵、般若の顔の絵、おなかの絵、蓑の絵、田
んぼの絵、大きな火炎鏡の絵
ぶっ せつ まか はんにゃ はら
み た しんきょう
と読むのです。すべての文句がこの調子で絵で書いてあります。
この絵を見てお坊さんが読むのを聞いていると覚えられるということなんでしょう。
布教に工夫していたんですね。当時は。
その扇子であおぐと、ありがたーい風がおきるのですよーーーーー。
註 ご意見をお待ちしています。
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