503「地理や歴史のイロハも知らぬ・・・」(10月28日(土)晴れ時々曇り)

週5日制になり、授業時間が少なくなったからだろうか、高等学校卒業に必須の世界史などを教えていなかった学校が続出している。場所によっては教育委員会まで了承しているというから全くあきれる。受験が終った短い期間に集中講義をやって、とにかく形だけはととのえて卒業資格を取らせようというのが対策のようだ。
友人の大学の非常勤講師の話しによると「最近の学生は常識がなさすぎる。そして結果さえよければいい、という風潮がまかり通っている。」
しかしこういった結果を招来した高等学校の一部の先生に授業時間が少なくなる中で、大学入試は熾烈を極めている。よい大学に生徒を入れられる学校がよい学校、という風潮がある。「分かってはいたがやむを得なかった。」との声もきかれる。
一方進学を重視する高校の生徒を見る親からは「宿題が並大抵の量ではない。今から関係のない授業だなんて・・・・」

私の経験から考えてみる。高等学校では世界史と地理を選択した。もちろん受験科目にもあったからそれなり勉強した。それらが、大学の授業に何か役に立ったかというと、そのようなことはなかった。
しかし社会にでて、特に今頃になって人生を振り返るといづれの科目も受けておいてよかったと思う。そのとき得た知識は大した物ではない。多くは忘れた・・・・。フランス革命があってナポレオンが出てきたことを覚えているくらいである。しかしそれが基礎になる。物事を考えるようになったとき、そういう浅い断片知識が役に立つ。断片知識を頭の中で組み合わせて、必要な者を調べて新しい自分なりのもの構築して実際に役立てる事ができる。
そういう意味で私は日本史を学ばなかったことを悔やんでいる。特に明治から現代に至る経緯を少しでも考えられるようにするために、いろいろな本など読まなければならなかった。そしてそのよう経緯を知らないで物を論ずることの危険性を感じた。

子どもはみな大人になり、そうすれば選挙権が出来る。当然である。しかしその権利を行使する上で最低限のことくらいは知っていて欲しい。太平洋戦争で何が起こったかも知らずに、周囲の雰囲気で憲法改正反対、あるいは賛成と叫ばれても困る!
振り返って教育の目的は何であろうか。いろいろあろうが、基本的には日本人を作り上げることではないか。日本人として立派であり、どうどうと名乗りうる人間である。そのために、自分たちがどういう人間であるかを知っておくことは必須である。

ところで今回の問題高校の行う補習授業の中身を考えてみる。文部省をウンといわせればいいだけの話であり、生徒も卒業のためのみしか考えぬから、余程おざなりなものになるに違いない。出席しても他の教科書を開いていたり、代理出席が出たり、高校側が余計な配慮をしたり・・・・。本来の目的である歴史や地理を学んで物を考える、という行為は全く忘れ去られてしまうだろう。

この問題は、本当は現在の大学受験のあり方が問われているように思われる。人はいくら規制してもどうやっても目先の利益の方に動く。今回は補習授業という形で済ませたとしても、来年、再来年になればまた抜け道をさがすやからが現れてくると思う。
そんなことを考えると、抜本的な対策が求められる。週5日制を見直す必要はないのか。共通試験に点数が低くてもよいからこれらの科目を加える、あるいは高校卒業認定のための別の統一試験を実施するなどの方法などはどうだろうか。人間は、なかなか怠惰な動物で、ほっておけば必要でないことはやらなくなる。本来の目的を認識するなら、何らかの履修した科目のチェックが必要と思うがどうだろうか。

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