506「老人と鍵」(11月6日(月)晴れ)

最近友人からボケるという字は「呆ける」と「惚ける」の二つがあると聞いた。ネットで調べるとほとんど同じ意味だが、後者は惚れるに通じ、心がぼおっとなる様を言うらしい。
惚けるはまだいいが、呆けるはいやだなあ。こちらは痴呆にもつながる。

昨日の朝、玄関を出たところで気がついた。鍵がない。
前日、どこかに置き忘れてきたか、と考えた。スポーツクラブ、喫茶店・・・・・しかしすぐに気がついた。家に中で一晩過ごしたのだ。どうやって入った?
あわてて下駄箱の上、机の上、小物入れ、探しまくる。ひょっとしたらドアを開けた後、その辺に落としたのじゃないか、と玄関、外の芝の上を探し回る。しかしない。仕方なくスペアキーを財布に入れ、そのまま出かける。

夜、ガールフレンドのAさんにこのことを話す。ただ余裕はある。
「どうせ家の中でなくしたのだから、人に取られる心配はないだろう。」「でもその辺に落として他人が拾ったら・・・」「どこの鍵か分かるものか。」
「私なんかキーホルダーにがっちりつけて絶対無くさないわよ。」というから、ついブツブツと薀蓄を垂れ始める。
「大体、君と違って僕は大変なんだ。家の鍵、アパートの鍵、外門の鍵、自転車の鍵・・・・。
特に部屋数の多いアパートは大変だ。それぞれに鍵が4個くらいあるだろう。それを借家人が持つ、空き部屋が出ると大工が入るから大工が持つ、新しい客を募集するから不動産やにも渡さなければならない・・・・。」
つまり話題をアパートの鍵の方に持っていってそらしているのである。
「そうね、でも不動産屋さんはお客から預かった鍵をちゃんと管理しているのでしょ。」
「彼らも大変だろうね。」などといって適当に相槌を打つ。形勢悪いとまた話題を変える。
「そういえば谷崎潤一郎の小説に「鍵」というのがあったなあ。あれ、読んだ?」
「読んだけど忘れちゃったわ。」
「映画に「アパートの鍵かします。」というのもあった。」
「あれ、ジャックレモンがよかったわねえ。」

これで大成功、と胸をなでおろしたが、一発逆転があった。
「ところで私の預けてある鍵は大丈夫でしょうね。」さらに彼女は私をジット見つめて「いざとなったら私も駆けつけてもらうんだから・・・、渡したわよね。」
そういえばそうだった。
彼女の家は私の家とかなり近い。私が突然倒れたらどうなるだろう。息子や娘はせいぜい訪ねてきても月に一度、冷たくなった死体が、1月後にやっと発見された、そのとき死体は腐敗が激しく・・・・なんてのもいやだ。そこで彼女に鍵を渡して頼んだ。「いざとなったら入ってきてよ、息子や娘の連絡先は携帯電話に入っている。」
すると彼女は「私も同じ。息子が隣にいるけれど、どこに行ってしまうかわからない。」それで鍵を交換したわけだ。「君のところの鍵が開けられるかどうか、今晩夜這いに行って確かめたい。」と申し入れたが、あっさり断られた。すると興味がなくなり、あの鍵はどこにおいたかなあ。しかしそんなことは言えない。
「あるさ、あるに決まっているさ!!!」

彼女が帰った後家捜しである。アパートの鍵箱の中に赤い目印のついた鍵をみつけた。多分これだと思う。しかしこれが違うとえらいこと、信用と権威失墜もいいところ。
今朝、彼女に電話。「ちょっと行っていい?」「ええ、いいわ。でもどうして?」「まあ、まあ」彼女の家にたどりつき、ガチャガチャとあの鍵を回すとドアが開いた。彼女が奥からでてきた。「あら、私があけるのに・・・・・」
肝腎の私の家の鍵はまだ発見されていない。

後記 数日経って私はしばらく履いていなかったズボンを履いてみた。寒いからポケットに手を突っ込む。指先に妙な触感。つまみ出してみると我が家の鍵!!

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