著者は1947年大阪生まれ、現在京都大学総合人間学部教授。専攻は国際政治学、国際関係史、文明史。この本は1998年に上梓された。
「経済は不況の最中にあり、政治は混乱が延々と続き、そして社会には多くの問題が
噴出している。そして誰の目にも、日本は衰退の兆しをあらわにしているように見える。」
と著者は断ずる。その根本原因を探ってさらに次のように述べる
「いつの時代にも社会を維持し発展させるものは本質的には人間の力である。すなわちその時代の道徳の頽廃と、その社会の活力の衰えは表裏の関係にある。」
この考えを、経済が少しばかり回復した現在はどう考えるべきか。私には基本的には変わりない。それどころか、50年後には9000万人、老齢化が進むと考えられるなど、衰退が現実に近づき、ますます悪くなる事が確実のように感じられて購入した。
以下に著書を引用しながら、著者の警告をまとめてみたい。
「衰退」否定論者に、著者は次のように釘をさす。
「今の時点で「日本はまだまだいける」と言うことは可能であり、またそれを裏付ける事実は沢山あるかもしれない。しかし都合のいいデータだけに依存して現在をやり過ごし、再び高度成長期のような時代が来たら全てうまく行く、と思うことは余りにも危険(47p)」
アングロ・サクソンの考え方と比較してみせる。
「その民族性は何よりも「直視すること」の大切さを第一義の習性とする強み。・・・・・事態を直視しないほうがよいという態度こそが日本にとってもっとも危険。(49p)」
日本の政治や経済の議論を見るといつもここのところに行き着くように思う。人口問題だって出生率がそのうちあがって改善されるさ!
日本は、欧米の経済的停滞を尻目に繁栄を続け、すでに先進国の一番前に立ったと考え、自らの内面の深いレベルに残る「未熟さ」に目を向けなくなった。しかし、近代化に先行した欧米先進諸国は日本より先に「衰退」を経験しており、その経験がはるかに豊かである。これは学ばなければいけない。
たとえばヴィクトリア朝時代に繁栄の極みに達した英国は、20世紀にボーア戦争で苦戦するさなかに女王が亡くなると「もううっとうしい重苦しい時代はいやだ」とばかり、新しい風潮が始まり、開放的、退廃的時代に突入したが、同時に国力も衰えていった。
「古いリベラリズムや保守的な建前主義とともにまじめな理想主義自体が最早過去のものとなり、何事につけても「本音」が尊ばれる気風がひろがっていった。・・・・「好き勝手」「誰にも迷惑をかけないんだから」はこの時代よく耳にする言葉であった.(87p)」
どこかの国の現在に似ていないか。
ローマ帝国の場合には「ゲルマンの侵入とそれに伴う混乱の中で、有り余った自由と豊かさの中であらゆる世俗的な歓楽を経験してすでに爛熟していた西ローマの文明は、初期キリスト教が持っていた日々の刺激や世俗的喜びに背を向ける反世俗主義に、むしろ極端に振れていくこととなった。(116p)」
しかし東ローマ帝国は、1453年のコンスタンテイノープル陥落までえんえんと続く。
「新しい外来の要素を大胆に取り入れながらも、それを「自らの古い伝統に基づいたもの」とするやり方に強固な文明の自己主張力を見出す事ができる。すなわち、何か新しい要素を摂取する再にも「これは我々の古い伝統に基づいたものである。我々の伝統はやはり素晴らしい」と受け止めるのである。(120p)」
当初のイギリスは20世紀後半になってかなり回復してきている。その原因を追究しながら次のように述べる。そこには東ローマと似たスタンスが見られる。
「王様でさえ海外から迎えるほど、外のものを取り入れながら、その都度古い要素を消してしまうことなくその上に蓄積していく。・・・・文化と言うものは何より「形」が大切で、内実はいかに変わろうとも、形だけでも残しておく事が歴史の連続性にとって大切なのである。(150p)」「サッチャーのイギリスではあれほど改革が誰の目にも明らかであったにもかかわらず、あらゆる改革の前にまず、「精神の改革」「哲学の転換」がきちんと筋道を追って行われた。(225p)」
非常に学ぶべきところがおおいのではないか。
戦後の日本の体制はアメリカから押し付けられたものである。アメリカのやり方は一貫して変わっていない。
「アメリカ外交のあり方は本質的にはウイルソンの時代と変わりがない。冷戦後の世界において、アメリカは世界を民主化する責任をもっていると信じている。(156p)」
アメリカは多民族国家を一つにまとめるために国民の目標が必要だ。当初は西部のフロンテイア、わずかな期間の植民地主義、そしてウイルソンが国際連盟を提唱して以来、フロンテイアは世界への民主主義の普及・・・・。
戦後の日本は、敗戦によるとはいえ深い考えもなく中身はもちろん「形」までもあっさり捨て去ってアメリカ方式を受け入れた。しかし、今になって「愚かなことをした」と多くの人が思い始めているのではないか。
一番基本となる憲法について著者は次のように問題点を指摘する。
「憲法が作られたのは史上三回あるが、そのうちの2回(17条憲法と明治憲法)は日本が大きく「国際化」するとき、必ず生じる日本人の心の大きな動揺とそれに伴う社会の混乱に備えるために作られたものであった。ところが「日本国憲法」は全く逆で、「外来の神(価値観・文化)をむしろ一層固く根づかせるためだけを考えたものであった。(222p)」
これからの日本の方針として高橋是清のとった政策が参考になろう。
「国際情勢を綿密に検討しながら、欧米の日本押さえ込みと言う意図を見抜き、その包囲傾向を十分警戒しつつ、しかも日本の独自性を失わずに日本の活路を探っていくと言う一見地味なしかし強固な現実路線であった。
(219p)」
より具体的には、著者は「むすび」で次のようにまとめている。
(1)「国境がなくなる」といわれる時代に、なぜ「国家」に軸を置いた思考が重要だと言うのか。・・・・・「国境のない世界」になっても、さまざまな文明の核のあたるものの独自性は決してなくなったりはしない。(230p)
(2)文明としての「日本」を忘れた「起業化精神」の発想が災いしている。・・・・明治維新の政府が、英米の制度・文物に大きな魅力を感じながらも、独仏のモデルと並べて、それを日本の文化土壌に一旦置きなおし、あくまで「日本」としての選択に見合うものしか受けいれようとしなかったのは、こうした文明的視点が明瞭にあったからである。(233p)
(3)戦後の日本があまりにも多くのものを失ってしまったもの、それは自らに伝統と歴史へ誇りである。(235p)
註 ご意見をお待ちしています。
e-mail agatha@bekkoame.ne.jp
home-page http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha