526「「法令遵守」が日本を滅ぼす」(1月26日(金) 晴れ)

最近、検察だの公取だの税務署だのの活躍が妙に目立って、企業の自由な活動を妨げたり、英雄を一夜にして犯罪人にしてしまうなど問題がないかと感じている。東大理学部卒の検事さんが書いたというこの本(新潮新書 郷原信郎著)を書店で見つけたとき胸が高なった。

まえがきで著者は言う。日本は法治国家であろうか。そうは言えない。実際には法律に基づかない行政指導によって個人や企業の活動がコントロールされ、非公式な話し合いによる解決が常態化している。そして法律は、しばしば実態と乖離している。しかし内部告発等によって企業不祥事や違法行為の摘発が盛んになり、「法令遵守」=「コンプライアンス」が叫ばれるようになってきた。しかしこの言葉だけで問題を解決しようとするやり方は、「事なかれ主義」「モチベーション低下」をもたらし良い結果を生まないのではないか。

その一番よい例が、公共調達をめぐる談合問題である。従来、業者間の話し合いにより、技術力や信用の面で問題のない業者が選定され、談合が行われ、発注者側もそれを前提にして入札前から調達業務を行っていた。このやり方は建設技術の高度化、地域経済の振興、天下りによる公務員の待遇補填など必ずしも悪くない影響をもたらした。しかし高度経済成長が終わり、デフレに近い状態になると、システムの欠点が目立ち始めた。そこで公取委による摘発が始まり、最後は課徴金まで課す様になって、ようやく終焉を迎えようとしている。
しかし本来は、良質、安全でかつ安価で作るため、いかなる入札・契約制度の下で、いかなる運用を行うかが大切である。明治時代から受け継ぐ「会計法」、戦後の混乱の中でうまれた「独禁法」だけで規制する事は時代遅れ、むしろその遵守が今の日本の公共工事を重大な危機に陥れようとしている。

昨年話題になったライブドア事件の場合、暴力団との癒着や海外での不正な蓄財などが噂されたが、すべて不発に終わり、起訴は子会社化したマネーライフ社の時価評価を虚偽報告をしたこと、資本準備金に計上すべき自社株売却益15億円を利益に計上した粉飾決算に変わってしまった。しかし一連の検察側による「劇場型捜査」はマスコミを味方につけ、ライブドアに対する評価を180度かえ、東京市場を大混乱に陥れた。
村上ファンドの場合は、ライブドアにニッポン放送株の大量取得をあおり、同時にニッポン放送株を売り抜けたと言う事実を、インサイダー取引とした。しかしインサイダー取引とするには、情報を知ったことと、売買と因果関係の立証が必要で、困難と思われる。
耐震強度偽装事件も、震度5強の地震で新築したばかりのマンションやホテルが倒壊の恐れがあると大パニックになった。しかし1981年以前に建築された建物には今回問題になった建物より倒壊の恐れのあるものが多い。法令のみで語るには問題点が多い。一級建築士が耐震強度を偽装すると言う露骨な違法行為が問題になったが、起訴された者は彼とヒューザー社長にすぎない。実際には日本の建物の安全性は高く、それらをささえていたのは「建築基準法」ではなく、「信用」と「倫理」であったように思われる。
不正車検事件は、8トン未満であれば大型免許が必要でないことに由来する。鉄道各社から、保守作業車を受注した供給業者が、8トンを越えているのに車検をごまかした。本来は法令遵守より、特別な規定を設けて普通免許による運転を認める事がスジではないか。
パロマ工業のガス湯沸かし器問題は、逆に法令遵守はしていたが、メーカーとして必要な社会的責任を果たしていなかったことに問題がある。

法は一つの考え方に基づいてだされたものである。何のためにあるか、背後に何があるかを常に考えなくてはいけない。しかし法令遵守のみを徹底すると、その精神が忘れられ、枝葉末節にこだわることになる。以上揚げたような事件では法と実態が乖離し、法令の内容や運用を事実上決定する立場にある官庁自身と、国民に大きな影響を与えているマスコミの報道姿勢にも大きな問題がある。
本来法律や裁判は社会の外苑部にあり、通常の考え方では解決できない問題を解決するいわば巫女のような存在である。しかも本来法律は、刑事や個人中心に考えられたもので経済法令は象徴的なものに過ぎなかった。しかもそれら法令は密接に関係し、精神としては相反するときも多い。会社法は株主の利益を究極の目標に考えられ、労働法はそこではたらく労働者の保護のために作られているのである。独占禁止法と労働法もその意味では向かうところが逆を向いている。

従来、司法全般が、経済社会には大きな影響を及ぼさなかった中で、唯一大きな影響力を持ってきたのが特捜検察であった。終戦直後にできた「隠退蔵事件捜査部」をもとに発展、「増収賄罪」を武器として、造船疑獄事件、ロッキード事件などを手がけてきた。しかしそれらと同じ価値判断で、経済事犯を摘発することは必ずしも正しくない。むしろ求められるのは、経済社会全体での法の機能を高めていくため、公正取引委員会など他の専門機関も含めた法執行の中枢としての役割を果たすことではないか。その意味でライブドア事件や村上ファンド事件などのような悪党退治的な手法は全く逆の方向に向かっているように見える。

最後に著者はフルセットコンプライアンスと言う考え方と提唱している。組織が社会的要請に答えるためには、潜在的な社会要請を把握し、しかもそれが社会の環境の変化に伴って変わってゆける柔軟な組織にしなければならない。法令は環境変化を知る手がかりであり、組織は「環境への適応」で進化する。組織が目を持ち、構成員が社会的要請に鋭敏に反応する事が求められる。
なかなかよく書けているし、問題点を鋭く追及していると思うけれども、検察や警察のやり方につっこんだ具体的な提言がないのが残念である。その意味ではタイトルを信じて買ったむきは少々失望するかもしれない。

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