暖冬の影響で上野公園ではオウカン桜が満開、ソメイヨシノも1週間先には開花するという。少し早く吉野梅郷の梅は今が盛りとか。天気は今日も快晴無風。結構、結構!
日向和田は青梅から二つ目、この日に狙いを定めてきたのは我々だけであるわけがなく、押すな、押すなの大混雑。トイレさえ大分待たねばならぬ。
この観光客を目当てに開かれた駅前の屋台で買った山形特産こんにゃくの串刺しを食いながら、多摩川にかかる神代橋を渡り、吉野梅郷に向かう。なぜこんなところに山形が出張ってくるのかは分からぬ。
梅は1500年前に日本に渡ってきたのだとあるウエブサイトに書いてあった。しかしその頃は薬用や梅干用であったらしい。花梅、つまり梅の花を観賞するようになったのはいつごろのことか。梅といえば菅原道真「東風吹かば思い起こせよ梅の花・・・・」の句である。あの梅は大宰府まで飛んでいって飛梅と呼ばれるようになった、などと言う伝説があるらしいがそもそも観賞用なのか、梅干用なのか・・・・。
それにしても沢山植えたものである。緋梅なども混じり、いろいろな種類があるけれども皆満開に見える。こういうとき山道を登りながらみな考えることは写真を撮ろうということくらい。しかし私のIXYのような小型カメラは自動焦点になっているから案外に焦点をあわせるのか難しい。前傾の赤い梅の一枝二枝に焦点をあわせ、後景の山の桜はぼかしたい、などと思ってもなかなかうまく行かない。のんびり散策。
東口に出て田舎の道を二俣尾方面に向かう。田舎道といっても観梅ロードなどと今風の名前をつけ、左右には農家の俄仕立ての団子屋、植木屋、野菜売り・・・・。少し開けたところでは、梅ノ木の間に赤い毛氈など敷いた椅子を並べ、梅を見ながらラーメンは如何と商売熱心。このうちの一軒で、なんとガールフレンドのAさんは、沈丁花の苗木をお買い上げ。
戦場に赴く武士と村の娘の恋物語伝説のある岩割れの梅を見た後、再び吉野街道に出て吉川英治記念館。受付嬢はさっきの苗木をみつけ、そんなものを館内で振り回されてはかなわぬ、と思ったか「こちらでお預かりしましょう。」と親切。
吉川英治は、明治25年に横浜で生まれた。家が貧しく中学にゆくこともなく、店員やドック工などを体験、やがて文学を心ざし20歳のときに「講談倶楽部」に「江の島物語」で一等当選。29歳で毎夕新聞社に入社したあたりから新聞小説を書き始め本格的になる。「鳴門秘帳」「宮本武蔵」など。日支事変などでは軍を鼓舞するなどしたらしい。
太平洋戦争。終戦の前年昭和19年3月、家族と共に当時の西多摩郡吉野村に疎開した。新書太閤記を書き続けたが、終戦と共に筆を絶った。展示掛け軸の一つに「恥かしや 昭和二十の 秋の月」とあり、妙に印象に残る。昭和28年に氏は村を去り、37年70歳で逝去。
吉川英治記念館はその書斎など中心に当時の面影を残した建設された。園内は今を盛りの梅を初め春の木々が芽吹き、花をつけ、なかなかの和風庭園。
館内の掛け軸、色紙、額の文字はなかなかに見事。
「喧嘩すな 兄よ弟よ 柿の種」「読書随所浄土」「朝の来ない夜はない」「君と一夕話」美人の文子夫人の話も入るビデオと共に楽しめる。
二俣尾に出て家に戻る。沈丁花を植える。
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