540「飢えて今頃 妹はどこに」(3月17日(土)晴れ)

高等学校同期の通信網に載ったA君メール概要。
「最近宮城まり子が私の履歴書の中でヒット曲「ガード下の靴みがき」の歌詞を載せているとの記事を読み、インターネットで調べたところ、歌入りで掲載されていた。この歌を聴きながら歌詞を眺めているうちに、妙に戦争の悲しさを感じた。論理ではなく直接感覚に訴えるものがある。次の集まりで歌うようにしないか。インターネットアドレスは
http://8.health-life.net/~susa26/ikoi/kutumigaki.html である。」

私も早速調べてみるとあの「赤い夕日が ガードを染めて・・・・」の歌が流れてきた。
このホームページのトップにさかのぼると、明治大正から昭和にかけて懐かしい歌がずらりと並んでいる。著作権の関係らしく多くは歌詞だけであったり、メロデイだけであったりするが、歌が入っているものもこの作品のようにいくつかある。管理者は須佐卓郎となっているが、どうも吉田卓郎氏のことらしい。ページには大きく「歌は世につれ、世は歌につれ」と書かれている。
歌っているのは谷真茜美(まなみ)というひとである。この人は昭和49年にRKBTVで家族そろって歌合戦に優勝して以来、ずっと歌手活動を続けている人で、平成8年にはCDもだしている。最近では音楽健康法の一環としてミュージックベル教室開催、「懐メロで元気」CDを制作、高齢者の健康管理推進の一環とする、などとある。そちらのサイトには彼女の歌った近代から現代に至るまで懐かしのメロデイがずらりと並んでいてうれしい。一流の歌手にならなくてもこんな生き方もあるのだ、などと妙に感心する。

その後の通信網にどうも舟木和夫の「高校三年生」がこの歌に似ている、などの記事が載って議論は尽きない。ただ私自身はこの歌はきらいではないが、あまり同期の集まりで歌う気分にはなりそうにない。

2年位前に懐メロを集めた「歌王」というCDを、通信販売で買った。そのときに終戦直後の歌にふれ、A君と同様悲しい気持ちになったことを覚えている。シベリア抑留生活を歌った「異国の丘」、フィリピン収容所の「モンテンルパの夜は更けて」、帰国の歌で「かえり船」、「岸壁の母」そして実際の日本での生活を描いたこの歌、しかし私が一番悲しくなったのは「星の流れに」であった。「星の流れに 身を占って 何処をねぐらの 今日の宿 荒む心で いるのじゃないが 泣けて涙も涸れはてた こんな女に誰がした」娼婦に身を落とした女性の、生きるか死ぬかの生活が分かろうというものだが、特に三番の「飢えて今頃 妹はどこに ひと目逢いたい お母さん・・・」というところは涙が止まらぬ。飢えると言う言葉は、この飽食の時代には死語にすら聞こえるけれど、戦争が起こればたちまち現実になる・・・それを忘れてはならないとは思う。

ただ私やA君が感じている悲しみは、自分たちの体験ではない。おそらく見たこともないし、自身の身には感じたこともないのではないか。なぜなら私たちは、昭和16年生まれである。苦労した父母、お兄さん、お姉さんに守られてそれなりに幸せな生活を送った。貧しい生活ではあったが、それが標準と考えた。悲しい、貧しいなどと言うのは、右上がりの生活を続けて10年以上過ぎてから思い出して、比較して作った思いに過ぎない。だから集まりではもう少し明るい歌を歌いたい、と思うのである。

註 ご意見をお待ちしています。
e-mail agatha@bekkoame.ne.jp
home-page http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha

読者から次のようなメールをいただきました。

宮城まり子のガード下の靴磨き」懐かしいですね、でも聞くと切なくなりますね、終戦の時私は10歳ですから戦後の食料難時代は良く分かっています。飽食の時代とよく言われていますが、考えてみれば今は食材の範疇も狭いし、最低から最高まで知っている我々の方が食の巾が広く、本当の意味において豊かな食生活を送っていると思います。何しろ今では鶏の餌になっている「ふすま」も食べましたから、大根の葉っぱを干して刻み(しば)炒めたのは今でも時々食べています,砂糖がお米の代わりに配給になった事もあります。私はマグロの「血合い」を醤油うに付け焼いたのが好きですが、探すのに苦労します(体にいい食物)、今の人は食べ方が分からず売れないから店に出さないと言っていました、食材が無くなっていくのが残念です。戦後の食糧難を無事に乗り越えてくれた両親に感謝しています。