543「ほんもの日光見物」(3月29-30日(木・金)晴れ)

同期のA君が企画してくれて日光ツアーが実現した。参加者は23人の大盛況。
初日に大正天皇の田母沢御用庭を見学した後、湯ノ湖近くの日光アストリアホテルに泊まった。硫黄のにおいが強いなかなかよい温泉であった。二日目朝、雪が降り心配したが、中善寺湖を経て下山したころにはすっかり晴れ渡り、絶好の行楽日和となった。

さて、本論、日光はあの比叡山延暦寺に先立つこと20年、766年に勝道上人によって開かれた。四本龍寺が建てられ、日光(二荒)権現も祭られた。鎌倉時代には将軍家の帰依著しく、神仏習合が進展し、三山(男体山、女峰山、太郎山)三仏(新宮、滝尾、本宮)を同一視する考えが整い、山岳修行修験道(山伏)が盛んになった。室町時代には所領18万石、500に及ぶ僧坊が立ち並んだという。
江戸時代には、天海大僧正が住職となり、天台宗の教えにより「家康公」を東照大権現として迎えた。また「輪王寺」の称号が天皇家から勅許され、天海大僧正、三代将軍「家光」公があらたにまつられ、「日光門主」と呼ばれる輪王寺宮法親王(皇族出身の僧侶)が住し、宗門を管領することとなった。法親王は幕末までに14代を数えた。

A君のお父さんのご縁で、我々は特別拝観ということになった。おかげで日光にはこれまで何度か来た事があるが、はじめて本当に見た、感じがした。
御霊殿には、明治時代以降の天皇および法親王様のご位牌が祀ってある。併設する逍遥園の庭を通って霊前に進む。丁度紅白二本の梅が満開、ウラウラと晴れ渡り、琵琶湖を模して作ったという池と共に素晴らしい。あの小掘遠州の作だそうだ。案内してくれたお坊さんのお経と共に合掌。
頭上の額に金堂と書いてある大きな伽藍が三仏堂で輪王寺の本堂。平安時代に創建された、全国でも数少ない天台密教形式のお堂。現在の建物は正保2年(1645)三代将軍家光によって建て替えられた。
内陣には金色の阿弥陀如来。上品上生の印を結ばれている。8.5mの高さがあるとか。左右に千手観世音菩薩、交通の神様である馬頭観世音菩薩。
裏手に回ると阿弥陀如来、勢至菩薩、文殊菩薩など干支にちなんだ仏様が祀ってある。我々の生まれた昭和16年は巳年、神様は象にのられた普賢菩薩、手を合わせる。

東照宮の説明は二荒神社の神主さんで国学院大学の先生と言う人が説明してくれる。
東照宮は正面から見ると本殿、参道を中心に一点透視図になって見える。まっすぐに江戸をさしており、その距離140キロ、天界をこの寺が治め、この世を江戸幕府が治めるという考えとか。石の鳥居は石を空洞にして軽くし、芯に入っている木がうすのような構造で、地震になっても倒れぬそうだ。地震対策といえば、五重塔も一番上の階の芯柱が宙にうき、ジャイロのようにゆれを防ぐ構造になっているとか。昔の人は智慧がある。
この門をくぐれば東照宮。階段上に校倉造の輪蔵が三つ。建物には諸大名の寄進で建てられた物も目立つ。神厩の長押欄干の額は、猿の子どもの成長に合わせて8枚で、一つのストーリーになっている。最後の2枚は夫婦猿が苦労する様子、母猿が大きなおなかを抱えて頑張る様子。順序が逆ではないか、と質問したバカ娘がいたとか。その向こうが陽明門。額の上には東照大権現の文字。500を越える彫刻が飾る。子どもが甕に落ち皆がおろおろするところ、司馬温公と言う人が瓶を割って助けた話しなど熱心に説明してくれる。徳川家は子どもたちが安心して遊べる平和な社会を願ったとか。
陽明門をくぐると正面が本堂。護摩堂をそのまま突き進めばあの眠り猫の入口を経て奥の院に行けるはず。そのまま廊下を回り、本陣へ。36歌仙の額が飾る外陣でおまいり。内陣、内内陣には徳川家ゆかりの者以外神主でも入れぬそうだ。

先生の説明が長くなって、すべて終えたときには1時を回っていた。伝統ある門前の日光金谷ホテルでカレーの昼食を取ったあと、大急ぎで家光公を祭る大猷院、二荒神社を見物して帰路についた。A君に感謝!三仏堂で3000円で買わされた魔よけのお札はご利益があるのだろうか、などと下らぬ思案をしながら、また缶ビールをぐい!

後記 東照宮で説明していただいた方は、高藤晴俊さんだそうです。
インターネットでは、以下の本があるとか。
「日光東照宮の謎」・高藤晴俊・講談社現代新書、講談社・・・おすすめ!!
「謎と不思議東照宮再発見」・高藤晴俊・日光東照宮

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