544「「源氏物語吾妻六帖考」のその後の話を教えて」(4月1日(日)晴れ)

最近おくればせながら「源氏物語」を読んでいる。
読んでいる、といっても原文で読むのは大変だから、玉上琢彌の訳文である。最近その引用文献の中に次のような書籍があることに気がついた。
大陰(おおかげ)智紀 「源氏物語吾妻六帖考」 昭和24年 口談社
実は父が亡くなったとき、蔵書の中にこの書を見つけた。そのころは興味がなかったし、余りに古びていた本であったので処分してしまった。ただ気になって題名のみ手帳に記しておいたのである。

ご存知のように源氏物語は、光源氏自身の物語については「御法」で秋に紫上が他界し、「幻」では源氏が傷心のうちに年を送り、出家の準備をし、全く中身のない「雲隠」で終っている。「匂宮」以降については光源氏・頭中将の子孫たちとその後を記している。特に最後の10帖は「宇治十帖」とよばれ、京と宇治を舞台に薫の君・匂宮2人の男君と宇治の三姉妹の恋愛模様を主軸にした仏教思想漂う内容。作者も後人の作を挿入したとする説、大弐三位(紫式部の娘賢子)の作とする説などがある。
光源氏は、「雲隠」したとき、52歳であった、と推定される。その後「匂宮」にいたる8年間が空白なのだが、光源氏,前太政大臣等が亡くなっているはずである。
吾妻六帖は、この間の物語である。私の心覚えであるが、著者は京都冷泉家の書棚の中で見つけたという。ただし鎌倉・室町時代に書かれた別物である可能性も高く、まだ発表は控えているとのことであった。

傷心した源氏は出家し、東(吾妻)に向かって旅に出る。源氏物語は、かって光源氏と紫上のそば近くに仕えた女房が、生き残って「問わず語り」するのを、若い女房が筆記・編集した、という建前である。筆記編集者のことわりや語り伝える古女房自身の言葉が挿入されている。しかし古女房共は、吾妻にはついて行かなかった様子で、京に上ってきた商人、舞い戻ってきた女房たちの話を編集した、と言う形をとっている。
流し読みした記憶によれば、1年後ついに奥州に至る。そのころやっと力を得てきた奥州藤原氏のもとに身を寄せる。光源氏は、この頃には、もう長旅で死の淵にあった。しかしここで月の輪熊の睾丸からとったという丸薬「珍金丹」のおかげで、みるみる元気になった。当主は、暖かく迎え入れたものの、女房・娘どものもとに毎夜かよい始めて少々迷惑した。5年ほどで他界した。その冥福を祈って、後に藤原秀衛があの金色の光堂を建てた。奥州に向かう途中立ち寄った栃木県二荒あたりは、光の一字をとって日光と改めた。

ただ吾妻六帖について、その後の話を聞かない。鎌倉・室町時代の禅宗の坊主か何かの作品であったのだろうか。しかし、宇治十帖が紫式部以外の人物の作であるとするなら、もともとが合作なのだ。そこに禅宗の坊主が入って何が悪い!三人の合作と考えればいいではないか。物語も奥行きがあり、面白くなってくる!そこで読者の中で情報のある人は是非一報いただきたい、いうのがこのエッセイの趣旨である。如何?

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この話をまじめに考えてよいのかですって?もちろん、まじめもまじめ、大真面目です。ただちょっとエッセイ自身が今日と言う日に書かれている事が気になる。それから「源氏物語吾妻六帖考」の著者の名前。大陰智紀という名前を大と陰智紀に分けると最初の字はダイ,あとの3文字は・・・・・・、ちょっと妙な感じがする。

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