2ヶ月くらいかけてやっと玉上琢彌訳の源氏物語を読んだ。最後に「夢の浮橋」を読み終えてほっとした。きっかけは、北京大学の学生が「日本人の多くは源氏物語を読んでいない。」といっている、と何かの本で読んだからだ。ところどころは読んだし、あらすじは知っているが、通しでは読んでいない。
書棚の奥に角川文庫「源氏物語」付現代語訳玉上琢彌訳注10巻が埋もれていた。どうしてこんなものを買ったのか今では思い出せない。訳文であるのに2ヶ月もかかったのは理由がある。20年以上前の発行で、昔の文庫本だから字が小さい。それでもこれでと決心し、喫茶店の一番明るい外よりの席に陣取り、少しづつ読み進んだ。
私の父親は絵描きであった、といってよい。東京都の職員だったが退職後は毎日絵を描き音楽を聴いて過ごしていた。その父の蔵書の中に岡一男の「源氏物語絵巻」があった。「源氏物語絵巻」は源氏物語成立後一世紀余り12世紀前半の成立らしい。全部そろっているわけではなく、徳川美術館や五島美術館が部分を所有している。読む前はお姫様と光源氏が描いてあるな、くらいであったけれども本文を読むうちにだんだん興味がわいてきてこちらも見るようになってきた。
光源氏が赤ん坊を抱いている。主上から光源氏に下された幼い妻、女三宮が産んだのだが、実は光源氏の子ではなく亡くなった柏木の子であることを知っている。そう思ってみると光源氏の表情がなんとも複雑にみえる。また夕霧が手紙を読んでいる。このごろ落葉宮に恋心をいだいたらしく落ち着かないので、妻の雲井雁は彼女の手紙と思い、嫉妬に狂って取り返そうとしている。「その手紙、見せなさい!」
読み進むうちこんな面白い小説はないと思った。更級日記の著者である藤原孝標の十三歳の女(むすめ)は「后の位も何にかわせん」とばかり、日夜読みふけったとか。
もう終わり頃になって書店で瀬戸内寂聴の「寂聴源氏塾」なる本を買ってきた。これはここまで苦労して読み進んで来た身には、格段に面白かった。今まで気がつかなかった物語の薀蓄、背景、作者の意図等がよく分かる。寂聴氏の言うように近代ヨーロッパ文学と比べても遜色のない変化に富む筋立て、華やかな宮廷生活にも起こるこの世の悩み、登場人物の性格、特徴の見事な書き分け、絵にしたいような劇的な場面、いづれをとっても素晴らしい。氏が「日本の世界文化遺産を一つだけあげよ、と言われたら私は源氏物語をあげる」と絶賛している理由がうなづける。
この本にこれだけ面白いのに日本で源氏物語が読まれない理由を挙げてあった。
一つは学校での教え方だという。セックスにつながる描写はふさわしくないという「教育的判断」からか面白くない部分だけが教材として取り上げられている。文章が長すぎる上に主語がほとんどないので、読んでもすぐには内容がわかりにくい。ただし悪文というわけではない。もともと一般向け読者にかかれたものではなく、天皇のお后である中宮彰子のサロンでむしろ音読されるために書かれたものである。
玉上琢彌氏の本は忠実に訳してあるものの、誰のことを言っているのか、なんと長い文章とため息のでたことも何度もあった。源氏物語はこれまで何度も訳されている。寂聴氏が読んだという与謝野晶子、谷崎潤一郎、円池ふみ子、そして寂聴氏も全訳をされた。寂聴氏の訳になる源氏物語は一般読者に分かりやすいように特段の配慮をしたそうだ。
みなさんは読まれましたか。もし読んでないようでしたら生きているうちに一度は読んでみた方がいいと思いますよ。
註 ご意見をお待ちしています。
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読者から次のようなメールをいただきました。
実は小生が中国語の個人レッスンを受けていたときの先生である中国留学生は、御茶ノ水大学の大学院の学生で国文で源氏物語を学んでいました。この子は変体かなまだ読める日本語の秀才でしたが、源氏物語を面白いと言ってました。そんなはずはないのになあとおもってましたが、貴兄のメールですこし考え直しました。
とても面白いのは紫式部と浜崎歩が中国語で発音すると凄く似ているのです。
一般に中国人の日本語研究には欠かせない物語みたいですね。大多数の
日本人が読んでいないにもかかわらずです。
付
机の上のガラス板の下に2000円札が入れてある。今日はこのお札の薀蓄を調べてみた。
2000円札は、2000年の沖縄サミットを記念して発行された。
表には沖縄らしく琉球城守礼の門。この門は第二尚氏王朝の尚清王(1527-55)の頃の創建だった。しかし太平洋戦争で消失、1958年に再建された。「琉球は礼節を重んずる国である」と言う意味の「守礼之邦」と書かれた額がかかっている。
沖縄県はこれで沖縄を宣伝しようと一時は躍起になった。
しかしなじみのない貨幣単位だったため、余り普及せず、従って券売機、ベンデイングマシン等で継子扱いでいまだにほとんど使えない。馴染みがないから、偽札をつかまされたりしたらかなわないと、受け取りを拒否する店まであるとか。しかしそれだけに発行部数?が少ないから将来値上がりするのじゃないか、と期待しているのだが・・・・。
裏は表の図柄とは全く縁のない「源氏物語絵巻」鈴虫。
「源氏物語」の出現は1008年頃とされている。一方「源氏物語絵巻」は一世紀余りの後12世紀前半の成立であることは間違いないようだ。
お札の文章は、インターネットによると
すすむし
十五夜農(の)遊(ゆ)ふくれ二(に)佛のおまへに
宮於(お)磐(は)して八(は)しちかくなかめ堂(た)万(ま)ひつつ
念珠し堂(た)まふわ可(か)きあ万(ま)支(き)三(み)多(た)ち二三人
磐(は)那(な)たてま徒(つ)るとてなら須(す)あかつきのおと
・ ・・・・
連(れ)いのわ多(た)利(り)多(た)万(ま)ひて
無(む)しの年(ね) いとしけくみ堂(た)流(る)るゆうへかなと
遊ふくれ二=夕暮れに、宮於磐して=宮(女三宮)おわして
わ可きあ万支三多ち=若き尼君たち、磐那たてま徒る=花奉る
連いのわ多利=例の渡り=光源氏がやってきたということ
あかつきは暁ではない、閼伽つきである。とても現代人によめた代物ではない。しかも紙幣に印刷されているのはこの文の上半分、意味は全く通じない。
文章全体の意味は「十五夜の月がまだ上がらないころ、女三宮が仏間で念誦をしていたところ光源氏がやってきて「むやみに虫がなきますね。」などという。」しかし絵はその後の場面で、冷泉院からお使いがあり、兵部郷宮や夕霧大将などと一緒に院に伺候したところである。左端こちらを向いているのが冷泉院。むこう向きになっているのが光源氏。冷泉院は桐壺帝と藤壺の宮の子となっているが、本当の父は実は光源氏である。従って久しぶりの親子体面である。
このとき源氏50歳、翌年には妻の紫上がなくなり、寂しい晩年を迎える。右すみに覗き見をしているような女性が紫式部。こちらは紫式部日記絵巻からとったもので、十月の月の夜、宮の内侍と紫式部を二人の公卿(藤原実成と藤原斉信)が訪ねる場面である。お札の図柄は二つの絵巻物から選び出して、王朝ムードにデザインしたものといえようか。実に妙なお札である。記念切手みたいだ。