「川崎協同病院(川崎市川崎区、堀内静男院長)は19日に、女性医師1998年11月、意識不明だった50代の男性入院患者の気管チューブをぬいて、弛緩剤を投与し、患者を家族の目の前で死亡させた、と発表した。女性医師は「安楽死」認識だったとみられるが、同病院は先週ようやく遺族に謝罪した。神奈川県警は関係者に事情を聞くなど近く捜査に乗り出す方針。」(7月20日日本経済新聞朝刊)
医師による安楽死は、1991年に東海大で起きた事件で安楽死を認める基準が示された。
1 患者に耐え難い激しい苦痛がある
2 死がさけられず、死期がせまっている
3 肉体的苦痛を除去、緩和する方法を尽くし、ほかに代替手段がない
4 生命の短縮を承諾する患者の明示の医師表示がある。
ただ示されたのはあくまで判例で、たとえ本人の意思などの要件がそろっても日本では正式に合法化されているわけではないため、捜査当局は医師の刑事責任を問うことになりそうだ、という。
病院側は女性医師の行為はこの4要件を満たしていない、女性医師に「刑事的問題も考えられるため、警察に自首してほしい。」と説得したが、女性医師が応じなかったため、公表に踏み切った、これまで公表しなかった理由は「糾弾され、信用を失うのが怖かった、患者と家族に心からお詫びする」などと説明した。
さらに21日の記事で病院内での診断が「個人任せになっており、チーム医療がなかったとは言わないが不十分だった。反省している。」と述べている。
私は、門外漢ながら報道姿勢の安易さと病院側の自己保身を考えた自虐的弁明を強く感じ、これでは女性医師はたまったものではない、と同情する。
まず感じるのが最初の取り上げ方が病院の一方的弁明だけをもとに作成されたらしい姿勢だ。状況から考えて、医者が運ばれてきた患者のチューブを独断で抜き、筋弛緩剤を投与した、とは考えられない。家族が立ち会っているのだから、何らかの了解をとる手段はとられたはずだ。
ただ、それが女性医師はそれで家族あるいは本人が了解したと捕らえて処置をとったが、家族はそのつもりはなかったという話だろう。言ってみれば意思の疎通が欠けていた、と新聞記者なら認識できて当然だ。と、すればそれを女性医師の立場も確認した様子もなく、鬼の首でもとったように大々的に取り上げる方がおかしい。
3年5ヶ月経った今になってこの問題を公表する姿勢もおかしい。
以下は勝手な推理。
最初遺族は納得していたつもりだった、ところが中に女性医師が気に入らなかったか何かで不満を唱えた者がいた、患者は川崎病の公害認定患者だったという、するとその筋の弁護士はゴマンといるはずだ、「それは訴えなさい、賠償がとれる。」くらい言ったにちがいない、そこで病院に文句を言う、最初は取り合わなかった病院もしつこく弁護士先生などに脅かされて、対策を考える、身の保全を考えて、自分たちに問題があったと認めながら、過半の責任をやめさせた女性医師に押し付ける、というスタイルで公表した、それにぼてじゃこよろしく新聞記者がとびついた?
個人任せになっており、チーム医療がなかった、などという弁明もおかしい。それなら個人病院など行けないではないか。
「殺人の可能性があるから、許せない。安楽死はまちがっている」というなら「肉親がチューブ人間になって、回復の見込みがないのに君の給料はすべて治療のために使われてしまう、そんな状態になっても安楽死を願わないほど君は高潔なのか?」と問いたい。本当はこういう問題では、法律違反かどうかは知らぬし、口にもださぬが現場の判断で解決の図られるケースが多いのではないか、と推定する。
予想したとおり、女性医師側は弁護士を通じて、チューブをはずすとき、家族の了解を得ていた、と発表した。以下に日本経済新聞の記事から引用する。
チューブは「4時間前に患者の妻が「抜いてください」と要請。「チューブを抜くのは最期になること。みなさんの確認が必要」と進言。
死の瞬間「臨終を告げると遺族が「お世話になりました」。異論はなかった。
薬物投与は呼吸を止めるためではなく、苦痛を取り除くためだった。
今後、どのような展開になるかわからないが、わたしは新聞記者も訴えた側も病院も配慮にかけると思わざるをえない。
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