58 靖国神社参拝問題について

小泉首相が、突然靖国神社に参拝し、中国や韓国の対応が心配されている。以下のエッセイは昨年の訪問時に作成したものだが、私の考えはこれと今も変わらないので、そのまま掲げる。

(2001年、8月14日 晴れ)
8月15日参拝を明言していた小泉首相は、中国、韓国に配慮したのか、あるいは支持政党の助言によってか分からないが昨日夕方参拝した。参拝を主張する側からは「予定通り15日に参拝しないのは残念だ。」と主張し、中国や韓国は「我々の感情を無視して参拝した。」と主張している。特に韓国は一部の感情的な学生等が日本国旗に罰点をつけた面をかぶってデモをしている。それこそ国旗侮辱問題で抗議すべき物と思うが、それはおくとしてかまびすしい。
靖国神社というのはインターネット情報を丸写しにすれば「明治2年(1869)に明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争(徳川幕府が倒れ、明治の新時代に生まれ変わる時に起った内戦)で斃れた人達を祀るために創建された。初め、東京招魂社と呼ばれたが、明治12年間靖国神社と改称されて今日に至っている。後に嘉永6年(1853)アメリカの海将ペリーが軍艦4隻を引き連れ、浦賀に来航した時からの、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀り、明治10年の西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった神社である。」
ここに祀られている人は明治維新 、西南戦争、日清戦争 、台湾征討 、北清事変、日露戦争、第一次世界大戦 、済南事変、満洲事変、 支那事変、大東亜戦争 の戦没者で246万人、特に大東亜戦争関係者が多く213万人を占める。戦後陸海軍省の所管だった神社は民間の一宗教法人となり、GHQは厳しい目を向けていた。
ところが、占領が終わると同時に、遺族会や生き残った戦友たちから、国の為に亡くなった戦没者を早急に靖国神社にお祀りすべきだという議論が沸き起こった。ところがこの事業は一民間宗教法人の手に余ると言うことで厚生省が管轄することになった。そして「靖国神社合祀事務に関する協力について」という通達が出され、都道府県単位で祀られた御祭神を靖国神社に合祀することになった。
御祭神の適用は「戦傷病者戦没者遺族等援護法」と「恩給法」のいずれかに該当する、という基準を立てた。これらの法は昭和28年、33年の改正によって戦犯や講和条約発行後収監されていた受刑者にも適用されるようになった。これに伴い昭和34年からBC級戦犯、53年からA級戦犯も合祀されるようになった。
日本政府は戦犯を占領中から犯罪者としては見ていない。また、刑死した人々も同様で、その死はあくまでも「法務死」と呼んでいる。A級戦犯合祀は大々的に報道にされ、時の大平首相は8月15日に参拝したが、このとき中国は異を唱えなかった。
ところが昭和60年になって中曽根首相が参拝したときに始めて中国はA級戦犯合祀問題をとりあげ、激しく抗議してきた。ただこのとき中国が抗議したのはA級戦犯だけではない、BCも含めている。だから実はA級が終われば中国を「侵略」した兵士を全部外せと言い出すにきまっている。
サンフランシスコ条約では日本は極東軍事裁判のJUDGEMENTを受け入れた。しかしこれは独立後勝手に戦犯を釈放したりしないと言う意味で、日本人の考え方を規制したものではない。
靖国神社に変わって千鳥が淵墓苑と言う話しもあるが、あそこは引き取り手のいなかった骨を祭ってあるところである。文字通り無名戦士の墓で性格が違う。
全国戦没者追悼式で代表させれば良い、という考えもある。しかしこの追悼式にA級戦犯の遺族が招待されていることも忘れてはならない。
こう見てくるとA級戦犯が合祀されていようと靖国神社が「戦没者追悼の中心的施設」であるとのコンセンサスは、一貫して国民の中にあると考えて不思議でないと思う。ただ、参拝する日を8月15日に限定しなければならないか、と言うとそこのところはちょっと怪しい。
もう一つ、今回小泉首相は8月15日参拝を宣伝しすぎたきらいがあると思う。韓国など中国の騒ぎに悪のりしているだけの話であり、相手にする必要などなかった。黙って8月13日だろうが15日だろうが、公用だろうが私用だろうが構わない、粛々と参拝すれば良かったように思う。